『キャプテン』『プレイボール』にみる努力 「努力のジレンマ」リアリティと物語の狭間で

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

彼は「お・・俺たちみたいに素質も才能もないものはこうやるしか方法はないんだ」と言う。部員たちは谷口に声をかけられず、自らを恥ずかしがって自宅までのランニングを開始する。後輩のイガラシは言う。

「これなんだなあ…キャプテンがみんなをひっぱる力は…」 

(C)ちばあきお/集英社 ホーム社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノンエリートたちは、自らの才能に見切りをつけ努力をしない。しかし、谷口はあきらめない。あきらめない努力がいつの間にか他人に火を点けるのである。このようなエピソードは、非名門校の墨谷高校を舞台にした『プレイボール』でも繰り返される。

シード校の東実との試合前、あきらめムードの先輩部員たちに対して、一人むきになる1年生の谷口。3年生の田所さんは言う。

「ようするにあいつらは、まるで別の世界の人間なんだよ」

3年生は進学や就職に向けて準備をする時期でもあった。

それでも、谷口は一人で特訓をする(頑張る)……。その姿が、結局、みんなを巻き込む。頑張るって伝染してしまうものなのだ。

努力を描くジレンマ、頑張れ半ちゃん

努力の過程をもっとも丁寧に描いたマンガではあるが、現代の青年たちにこの『プレイボール』の感動が伝わるのかどうかは、私にも確信がない。

次ページ努力が成功した時、リアリティが失われてしまう
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事