コンサルから転身「39歳DeNA球団社長」の正体 野球が仕事になった契機は新聞広告と交通事故

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プレー経験もある。中学1年で野球部に入部。が、高校1年で身を引いた…。

「残念ながら球技センスがなく、ひどいものでした。高1までやってて、ケガをしてやめちゃったんですけど。小学生のときは運動神経のいい子がみんなやってましたけど、野球をやろうと思ったことはなくて」

野球が仕事になった契機は、新聞広告と交通事故

観戦熱は高かった。

「中学生のとき、1人で青春18切符で鈍行を乗り継いで、甲子園に行ったりしてました。新幹線代は高くて自分で出せないから(笑い)。関西の親の実家に泊めてもらいながら、野球を見に行くっていうのを1週間から10日くらい」

東大大学院生の時の就職活動中は、野球界への就職も考えた。

「ちょうど球界再編があって、野球界もビジネスかと思って、エントリーシートを出したんですけど、『球団社長になりたい』って書いて出したら、レスが来なかったです」

趣味だった野球が仕事になった契機は、新聞広告と交通事故だった。

「DeNAに変わった直後に、たまたまベイスターズの求人を見つけたんです。日経新聞に『球団職員募集』の広告が出てて。これは面白そうと思った」

アクシデントが価値観の転機となり、それは年収が半減しても変わらなかった。

「その年の1月上旬に友達とスノボに行った帰りに交通事故に遭って。車が横転して、『死ぬかも』と思った。そんな経験から、今もらってる給料とかお金よりも、確実に面白いこと、自分がやりたいことをやって生きたほうがいいな、と思うようになって。もしかしたらあの事故も、広告を目にすることも神のお導きじゃなかろうかと(笑い)。ヘッドハンティングとかではなくて、自分から勝手に転がりこんだんです」

そこから9年で球団社長に就任。今年の年初、「20年後の世界一」を目標として公言した。

「11月くらいに社内で『20年後の世界一』を共有したんですが、外に出すかを議論したときに外に言えないことを目標にするのって、おかしいよねと。胸を張って、本気で目指してるんだったら、多少ばかにされても言ったほうがいいんじゃないかと。自分で口にしてしまうと後戻りできないし、責任も生じますから」

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