堀江貴文「ストレスを寄せ付けない」2つのルール 「ストレスを感じやすく心配性」だからこそ・・・
以前、脳科学者の茂木健一郎さんに指摘されたのだが、ぼくはこの5因子のうち、神経症的傾向の占める割合が高いらしい。
思い当たる節はなくはない。というか、その自覚はじゅうぶんある。ぼくはどちらかといえば、ほかのひとに比べるとストレスを感じやすいタイプだ。そして過敏だ。いちどなにか不安になったらなかなかその不安を払拭できない。基本的に心配性なのである。
ホリエモンが心配性だって? あなたは笑うかもしれない。でもほんとうなのだ。とくに学生時代までのぼくは、そうした傾向が強かった。些細なことでくよくよ悩んだものだった。
小学生のころ、友だちのまえでちょっとした失態(悪事ではない)を演じたことがある。それはいまにして思えばどうってことのない出来事だったのだが、ぼくはそれから6~7年間、そのことをトラウマとして引き摺った。
長じたいまになっても、そうした根っこの部分は変わっていない。ぼくはストレスが人一倍苦手だし、油断すると些細なことが不安の種になる。自分自身のパーソナリティをそうとらえているからこそ、ぼくはストレスや不安を寄せつけないためのメソッドを、決め事をつくっている。
決めごとは2つ
その決め事は、大まかに言って2つある。ひとつは、ウソをつかない、ということ。ウソといっても、約束を破ったり、だれかを陥れたりといったことではない。それはウソを越えて、ルール違反だ。そもそもあってはならない。
そうではなく、ぼくがここで言いたいのは、日常の些細なウソである。一緒に過ごしていてじつは退屈なのに、楽しそうに振る舞う。さして美味しくない料理を、さも美味しそうに食べてみせる。べつに感謝していないのに、ありがとうと頭を下げる。つまり、おべんちゃらだ。
それは些細なウソだが、些細であるがゆえ余計に苦痛をともなう。なにも得をしないからだ。それでいていちいち調子を狂わされるのだから百害あって一利なしである。いったんウソをつけばまたウソを上塗りしなければならない。そうやって際限なく神経をすり減らしていく。自分が失われていく。堪えがたい。
これがたとえば、仕事で大きな契約を成立させるための方便として用いるのなら別だ。相手も気分が良くなって、自分も気分がいい。ウィンウィンである。
気まずくなりたくない。あなたはそれだけの理由でしょうもないウソをついていないだろうか。そうやってウソをついた挙げ句、もしつれない態度を取られるとどうなるか。こっちはあんなに尽くしたのに……と不毛な逆恨みで心を乱すのだ。
たかがウソ、されどウソだ。ウソはあなたを蝕む。
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