あの「通貨戦争」騒動を考えてみよう。10年にFRBは量的緩和第2弾(QE2)をほのめかし、為替はドル安に振れた。急激な資本流入による国内資産価格バブルと自国通貨の上昇圧力をおそれて、多くの新興経済諸国の首脳らは、ブラジルのマンテガ財務相が「国際通貨戦争」と呼んだ事態に不満の声を上げた。
だが、08年秋以降、為替相場のボラティリティは大不況前の水準に徐々に落ち着いていった。
過去を懐かしむ気持ち
誤解を生んだ別の理由は、過去を懐かしむ気持ちを間違って抱いたことだ。スコウクロフト元米国家安全保障担当大統領補佐官は12年に「戦後の指導者らはIMF、世界銀行を設立し、関税と貿易に関する一般協定を結んだ。新たなG20は、以前輝いていた機関設立の下手な写し絵にすぎない」と語った。が、過去の取り組みにも無駄はあった。
憂鬱な気持ちが強いことについての最も奥深い説明は、場所がどこかということだ。08年から12年にかけての経済協力開発機構(OECD)加盟国の国内総生産(GDP)年間成長率は平均0.5%、一方、OECD非加盟国は同5.2%だった。
国際秩序の分析はなお西側諸国を中心としている。経済が低迷すれば、権力の座にいる人々への不信が強まる。が、08年の大不況が始まったとき、日本経済はほぼ20年にわたり停滞していた。米国では国内政策の行き詰まりと政治的な不確実さが回復の足を引っ張った。
08年以来、目覚ましい回復力を示した「システム」は、次の危機にも耐えられるか。理論的にはイエスである。改革の多くは、衝撃を吸収する仕組みをグローバル経済に持たせようとしてきた。
が、もし評論家らが「システム」が壊れたと主張し続け、誤認識が一度固定してしまうと、是正は極めて困難だ。皮肉なことに、「システム」を機能不全にさせうるのは、そのシステムの支持者が持つ信頼が低下することだけだからだ。
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