数々のハンデを強みに変えて乗り切った半生。『死ぬな』(新潮新書)に、その壮絶な体験を記録した。自身の体験から浮かび上がる、異色のファンドマネジャーの「弱者の戦略」。
──人生は「生きてさえいれば何とかなる」ものですか。
文字にしていただくと自分でも壮絶な人生を送ってきた感じはする。生まれたときから体が不自由だったから、次にどう進むか考えるときに、いつも限られた選択肢しかなかった。小学5年で父を亡くし、母子家庭になって、下世話な言い方をすれば、どちらが得かで選んできただけといえる。人生は“思い込み"がないと楽に生きられるようだ。
──いい出会い、いい巡り合わせがあったようです。
60年間生きてきて、運はよかったといえる。内部障害はあったが、見た目には足が悪いだけ。それが役に立った。周りの人がそれなりに気づいて、手を差し伸べてくれた。
高校の先生が母親を説得
──大学に進学しました。
経済状況からしたら大学には行けない。工業高校の電気科に行ったのも就職がしやすいと思ってのことだったが、高校の先生が母を説得してくれた。進学した大学は予備校の現代国語の先生が、自分の大学に来たらと誘ってくれた先だ。自校出身者を教員に採用しており、その道を歩むのもいいのではと勧めてくれた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら