仮設から仮設へ、復興商店街の厳しい前途 震災3年半後の宮城・気仙沼で起きていること
津波とその後の大火災に飲み込まれた宮城県気仙沼市の鹿折地区。かつて水産加工工場や住宅が建ち並んでいた約42ヘクタールの市街地で、108億円の巨費を投じての敷地のかさ上げを伴う大規模な土地区画整理事業が進められている。
その中でプレハブの仮設商店街が存続の正念場を迎えている。
仮設から移転迫られ、移転先も仮設店舗
「2年後が問題。続ける気力が残っているかどうかだね。それまで一生懸命頑張るしかない」
こう語るのは、「食事処塩田」を経営する塩田重美さん(65)。震災前に鹿折地区で豆腐店を営んできたが、津波で自宅兼店舗を失った。
おいの塩田賢一さん(47)の誘いもあって仮設商店街の「気仙沼鹿折復幸マルシェ」で飲食店に衣替えして事業を再開したが、土地のかさ上げ工事の都合で約600メートル離れた別の場所への移転を迫られた。
実は移転先も仮設店舗だった。今度の仮設商店街の名称は「鹿折復幸マート」。気仙沼市が新しく用意した仮設店舗だったが、電気配線のミスで換気扇が回らないことがわかって、重美さんは開店を前にてんやわんわの大騒動を余儀なくされた。
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