「GDPが国力のすべて」と思う人の大いなる勘違い 政治的な思惑で産まれた物で自然の法則ではない

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2度目となる世界大戦を睨んでいたアメリカ政府には、国民の救済より軍事にお金を回したい事情がありました。しかし、クズネッツの数字に従うなら、軍事支出には経済全体を押し上げる力はほとんどありません。つまり、戦争にお金を注いでも国民は豊かにならないということです。

この問題を解決するために誕生したのが、「国内総生産」(G D P)という考え方です。G D Pはアメリカ国内で生産されたすべての財とサービスの価値を合計した数字なので、その中には政府が自らの都合で生み出す価値も含まれます。つまり、GDPが生まれた瞬間から、爆撃機も経済のためになる存在として認められるようになったのです。戦争のために兵器を作れば作るほど、GDPに加味されアメリカの経済指標がどんどん上がる仕掛けです。

クズネッツにとって、国の経済を計測することは国民生活の豊かさを計測することとイコールでした。彼の考えでは、軍事力は国民の豊かさと結びつきません。しかしクズネッツは論争に敗れ、1942年、軍事支出も含んだ数字としてアメリカのGDPが初めて公表されることになりました。

犯罪増加で経済が成長する仕組み

このように、GDPは政治的な思惑から生まれたもので、自然の法則ではありません。しかし、近年では、政治家も官僚も、「GDPは客観的な数字のふりをしているだけ」ということを忘れてしまったかのようです。その証拠に、彼らの政策の根拠には必ずと言っていいほどGDPが挙げられ、緊縮財政の必要性を主張したりします。

多くの政府にとって、経済成長、すなわちGDPの数字上昇は至高の善です。これがGDPを絶対視することにつながり、「GDPに含まれるものはなんであれいいもの」という非常に近視眼的で短絡的な思考になっているように思えてなりません。

しかし実際には、GDPの数字を上げるものが必ず国民にとっていいものとは限らないのは兵器で見たとおり。有害物質を撒き散らす産業もGDPの数字に貢献しますが、環境を破壊する側面も持ち合わせています。また、犯罪が多発する社会は安全とはとても言えませんが、それによって防犯カメラや頑丈な鍵が売れるのであれば、経済成長に貢献していることになるのです。

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