来日26年で倒産も経験「シディーク社長」逆転人生 東京タワーにパキスタン料理店を出すまでに再起
もう1つ、大きな転機があった。農業の仕事を一緒に始めた日本人のつてで、東京タワーの社長を紹介されたのだ。
空き店舗が出るという話に、すぐさま乗った。少しずつビジネスを再建していったミアンさんは、こうしてとうとう東京タワーにまで登り詰めたというわけだ。
なかなかに紆余曲折の激しい日本での暮らしだが、ビジネスの上で大事にしてきたことを尋ねると、
「まわりで支えてくれている人、一緒に仕事をしている人、出入りの業者、そういった人たちにうそをつかないこと。ごまかさないことでしょうか。会社がたいへんで給料が払えないときも、ちゃんと説明するように心がけてきました。都合が悪くなると電話に出ないようなことだけは、絶対にしたくなかった」
そんな答えが返ってきた。
会社を閉めた日から1日も休んでいない
日本語の座右の銘は、「一生懸命」だ。その言葉通り、いったん会社を閉めたあの日から、ミアンさんは1日たりとも休んでいない。ワクチン接種をして副反応が出たときも、仕事が気になって会社に顔を出した。家族旅行も、出張と絡めた行先だ。
「気が抜けないんですよ。一回、失敗したからね。なにかやっていないと気がすまない」
その勢いで、来年はもっと農業に力を入れようと思っている。キャッサバの生産も始めるつもりだ。どうにも、あれこれとやってみたくなる性分なのだ。
「なんでも手を出しちゃって失敗したこともあるけど(笑)。手を出していかないと成功もないって思っています。それにね、日本は、一生懸命にがんばればちゃんと結果が返ってくる国なんです。日本人が応援してくれるようになるんです」
人生の半分を日本で過ごした親日家は、そう笑うのだった。
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