「子どもを置いて逃げたい」母に息子が伝えた言葉 「お母さんはもう無理です」にわが子は…
当時やってしまった数々の行ないのなかでも、とくに後悔していることがある。離婚した元夫、つまり次男にとっての父親に助けを求めてしまったことだ。次男が不登校になったので、なんとか力を貸してほしい、と。
忘れられない後悔
しかし、次男が小学校3年生のころからすでに家庭内別居状態で、小学6年生のときにやっと離婚が成立した。その後は一度も会っていない。次男にとって父親はほとんど会話もしたことのない、よく知らない人。そんな人と次男を会わせてどうするつもりだったのか。
白状しよう。私は次男を誰かほかの人に渡してしまいたいと思うようになっていた。目の前から次男がいなくなれば、もうこんなに考えなくていい。もう苦しまなくていい。次男を放り出して逃げ出したい。それだけだった。
私の要請にこたえて約4年ぶりにやってきた父親は、「学校へ行かなかったら、たいへんなことになる」と次男を脅すばかり。声はどんどん大きくなっていき、次男は布団をかぶって小さくなっていた。
そのころ、すこしでも次男とコミュニケーションを取ろうと思った私は、ノートに思いを書いて、毎朝次男の部屋の前に置く、ということをやっていた。次男は読んでいたのかどうか。帰宅するとテーブルの上にノートは置かれ、ときどきページの下のほうに小さく「○」が書かれていた。