認知症になったら「人生終わり」と考える人の誤解 当事者や家族がより楽になる在り方を考えよう

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診断翌日から対応が一変する。「これ持っててくれる?」じゃなくて「はい、これ持って」。「ほら行くよ」「ちゃんとして」。言う側は意識して強く言ったつもりはなくても、言われる側はイラッとくるし、落ち込んで自信を失っていく人もいる。認知症になった当人がまず大ショックなのですから。

仕事で使い慣れたパソコンをいじっただけでも「うわあ! すごい」と過剰なまでに褒められる。認知症だからです。書道の先生をしていた方が、「うまく書けなくなったのが自分でわかる。だから褒められてもうれしくない」と言っていました。悪気がないのは承知だけど、プライドが傷つきます。でもなかなか本音は言えない。

家族がすべて先回りするのはよくない

──認知症になると怒りっぽくなる、暴力的になる、というのは?

症状というより環境の問題。当事者が居心地の悪い場になっていないか。毎日小言を浴びせる、外出を禁止する、財布を取り上げるなどしていませんか? 講演に行くと「夫が水道流しっぱなし。どう言ったらいいですか」と聞かれる。それ、いちいち言わなくても止めてあげればいい。注意して本人に気づかせ、脳を鍛え元どおりにさせようとする。でも、物忘れはうっかりや怠惰から来るのではなく、病気の症状です。骨折した人に早く走れとは言いませんよね。

ただ、家族がすべて先回りしてしまうのも実はよくない。自分が時々ボーッとするのは自覚してるし、家族には申し訳ない思いがあるから、不本意でも諦めていく。すると家族なしでは不安で何もできなくなる。認知症当事者の集まりでも、家族が席を立った瞬間に目で追う当事者が大勢います。依存という別の病気。家族も「私がいないとダメ」と共依存の関係になる。自分でやるのを諦めることは、当事者にとっても家族にとってもつらい世界への入り口になる。

──話し方を変えていくといい?

「また忘れたの?」ではなく、「私が覚えてるよ、大丈夫」とポジティブに言ってくれると楽です。「お昼何食べたか覚えてる?」と試すより、「今晩何食べたい?」と聞いてくれたらいい。思い出せずに落ち込むことなく、逆にワクワクする。そのほうがお互い絶対にうまくいくと思う。うちは私が道に迷って帰りが遅くなっても、妻は何も言わない。「心配じゃないの?」と聞いたら、「最終的に帰ってくるし」と。失敗込みで受け入れてくれている。

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