「人力車に人生を変えられた」38歳芸人の紆余曲折 犬山市が観光都市として復活できた意外な理由

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吉本では2011年1月、プロジェクト開始に際し、所属タレントの中から住みます芸人を募るとともに、彼らの活動を現地でサポートする「住みます社員」を募集。全国から約5000人の応募があり、各都道府県に1人ずつ、計47人が選ばれた。兼松(33)もその一人だった。

兼松は名古屋市出身。大学在学中に、住みます社員に応募した。兼松が当時を振り返る。

「今思うと、本当に申し訳ないんですけど、僕、在学中に1年休学して、留学してたんで、その年の春には卒業できなかったんですよ。夏の卒業見込みで。けど、就職活動はしなくちゃいけなかったんで、いろんな会社受けたんですけど、リーマンショック後の就職氷河期で、おまけに僕、面接苦手で、ことごとく落ちて。

で、実家に帰って、地元の企業に勤めようと思っていたら、テレビで、住みます芸人のニュースをやってて。芸人と一緒に、住みます社員も全国から募集します、愛知でも募集しますって言ってたんです。それで、どうせ受かんないだろうな、けど、万が一、受かったら(3月に卒業できないことを)めちゃめちゃ謝ろうと思って、エントリーシート出したら、運よく拾っていただいて。

人事の方から『採用になりました。頑張ってね』って言われたときに、『実はすみません。春には卒業できないんです』って言ったら、『何ぃー! 』ってなって(笑)。

あ、やっぱり落とされたなと思っていたら、4月1日の入社式の前に人事からもう1回、連絡が来て。『今さら愛知県だけ穴を開けるわけにはいかないから、とりあえず来て』って言われて、『はい! ありがとうございます!!』って、滑り込ませていただいたスタートでした(笑)」

突如開花した「マネージャー」としての才

だが、やはり「人事」というものは面白い。住みます社員として吉本に滑り込んだ兼松はその後、「マネージャー」としての適性を開花させていく。

「当時の東海支社長だった上司と話してて、『このプロジェクトは芸人だけでなく、社員も地域から愛されんといかん』と。『じゃあ、毎日、朝から(犬山に)行こう』と。何の用事もない日でも、とにかく毎朝、電車で犬山に通い、商店主さんらを回って、ご挨拶して、名刺配って、顔覚えていただいて。そういうのを『お笑い人力車』が始まる前から、(お笑い人力車の)第1期が終わる(2011年)11月までの約半年間、ずっと続けていました」

住みます社員(現在は「エリア担当社員」)には、採用から3年後、正社員登用のチャンスが巡ってくるが、兼松は3年を待たずに正社員となり、2013年、今度は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県の石巻市役所に出向した。

企業の若手を期限付きで自治体に派遣し、地方の活性化を図る総務省の「若手企業人地域交流プログラム」に基づいた人事で、総務省から打診を受けた吉本が白羽の矢を立てたのが兼松だった。

石巻市役所への1年間の出向を終えた兼松はそのまま、同じ宮城県の仙台市にある吉本の東北支社に“スライド異動”。東北での3年の勤務を終え、現在は東京マネジメントセンターでチーフマネージャーを務め、今田耕司をはじめ、多くの人気芸人を担当している。

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