「人力車に人生を変えられた」38歳芸人の紆余曲折 犬山市が観光都市として復活できた意外な理由
そこで犬山市では城下町の再生を目指し、無電柱化などの再整備を進め、2003年には市と地元企業が「犬山まちづくり株式会社」を設立。空き店舗などに城下町の風情を意識した改装を行い、市内外からテナントを募った。
さらに2007年には、地元の名古屋鉄道(名鉄)との観光タイアップ「犬山キャンペーン」が始まり、この頃から徐々に客足が復活。ブレイクの陰には長年にわたる、地元自治体と企業、そして住民たちの地道な取り組みがあったのだ。
「お笑い人力車」が生まれた理由
その素地を作った一人で、犬山城を今や“インスタ映え”する観光スポットに押し上げたのが、犬山市観光協会事務局で広報を担当する後藤真司(42)だ。また、吉本に「お笑い人力車」を提案し、芸人たちの10年を見守り続けてきたのも、彼である。その後藤が語る。
「まちづくり会社の取り組みや、名鉄さんとのタイアップが観光客の復活に繋がったのは事実ですが、それまでとは違って、若いお客さんが来てくれるきっかけになったのは、間違いなく『お笑い人力車』でした。
ハード面での整備が進んで、何か“目玉”が欲しいと思っていたところに『住みます芸人』の話を聞き、これだ、と思ったんです。
というのも、以前から観光協会は1台、人力車を持っていたんですが、曳き手がいなかった。そこで、『まだ売れる前の子(芸人)が元気に曳いてくれたら、(人力車の)人気が出るんじゃないか』と思って、吉本さんに応募したところ、採用していただいた。まさにタイミングとニーズがマッチしたという感じでした。
実は人力車の車夫って、メンタル強くなくちゃできないんですよ。まずはお客さんに乗ってもらわなくちゃ始まらないし、乗車中もコミュニケーションを絶やしちゃいけない。その点、若手芸人さんってピッタリじゃないですか。元気が売りだし、しゃべれない子はいない」
そして後藤は「お笑い人力車」が成功した、もう一つの要因を挙げる。
「犬山は、歴史のある観光地なんで、新しい企画をスタートするには地元の理解と協力が不可欠なんです。サムタイムズの2人の、地元に溶け込もうとした努力もさることながら、彼らに付き添っていた『住みます社員』の兼松(辰幸)君の存在が大きかった。毎日のように名古屋から犬山に通ってきて、老舗の商店主さんたちからも気に入られていました」
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