運行わずか1年半「幻のモノレール」の経営実態 設備に問題あったが計画・運営もずさんだった
また、当時はモノレールという交通機関が流行の兆しを見せていたということもあった。モータリゼーションの進展により各地で交通渋滞が問題となる中、地下鉄よりも安価に建設でき、アメリカなどの都市で見られる高架鉄道よりもスリムな構造物のみで建設可能なモノレールが注目されたのである。
1961年2月には私鉄業界が中心となり、ヨーロッパにモノレール視察団(団長:渋谷寛治小田急電鉄専務)が派遣された。また、同じ頃、日本を代表するメーカー各社は、海外のモノレール先進企業と技術提携して技術の導入を図った。日立製作所は西ドイツ(当時)のアルヴェーグ式(東京モノレールなどで採用)、三菱重工を中心に設立された日本エアウェイ開発はフランスのサフェージュ式(湘南モノレール、千葉都市モノレールで採用)を導入した。
では、ドリームランドモノレールはどのような技術を採用したのかというと、東芝が開発した「東芝式」と呼ばれるものだった。東芝はこのモノレールシステムを「すべて国産技術により完成した東芝独自の技術」であると主張したが、見た目はアルヴェーグ式とそっくりである。アルヴェーグ式との大きな違いは、連接台車構造を採用し、急カーブにも対応できるようにした点だったが、アルヴェーグの特許に抵触するとして問題視された。
ドリームランドモノレールに東芝式が採用されたのは、先行開業していた奈良ドリームランドの東芝式モノレールが好調だったからであろう。
法律無視の建設に中止勧告も
こうして、車両と電気設備を東芝、軌道等の構造物を三井建設が設計・製造することになり、総工費約25億円をかけてモノレール建設工事が進められたが、当初から波乱含みだった。
建設がかなり強引に進められた様子は、当時の報道からうかがい知ることができる。
理由は、鎌倉市関谷地区を走るモノレール建設工事にさいし、農地法を無視して許可前に工事を始め、工事中止の勧告を無視してどんどん工事を進めているというもの。(中略)同委員会は「農地法を全く無視している大資本に対し徹底的に追及する。農地法は国法であり、国法を無視するやり方はけしからん」と憤慨している。
(1966年3月23日付神奈川新聞、記事の一部を抜粋引用)
こうした法律無視の姿勢が原因か、開業もすんなりとはいかなかった。
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