運行わずか1年半「幻のモノレール」の経営実態 設備に問題あったが計画・運営もずさんだった

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ドリーム交通は1967年11月、東芝などを相手取り損害賠償請求訴訟を提訴したが、ようやく和解が成立したのは、13年後の1981年1月だった。横浜ドリームランドの経営が一時赤字に陥ったのはモノレール運休の影響が大きいとする日本ドリーム観光側の主張と、車両設計・製造のミスを全面的には認められないとする東芝側の主張が真っ向から対立したのである。

1990年ごろのドリームランドモノレール大船駅(写真提供:大竹正芳氏)

車両は裁判の証拠品として遺留していたが、13年も放置する間に、駅や軌道桁などの構造物もろとも廃墟のようになってしまい、そのまま運転再開することは不可能になった。だが、横浜ドリームランドの敷地の一部に大規模な高層分譲住宅が建設されたほか、沿線の宅地化が進み、住民の足としてモノレール再開を望む声が高まったため、ドリーム交通は、以後も鉄道免許の更新を続け、橋脚などはそのまま残されるという状況が続いた。

そして、運行休止からおよそ30年が経過した1995年6月、ユニークな運行再開計画が持ち上がった。常電導磁気浮上式リニアモーターカー(HSST)の導入計画である。

リニアとして再起目指したが…

この計画を決めたのは、流通大手のダイエーグループである。ドリーム観光は1984年に松尾社長が亡くなると内紛が勃発し、この内紛を機に同社の経営権を掌握したのが故・中内功氏率いるダイエーグループだった。

1996年に大船駅周辺地区整備連絡協議会が発行した冊子に掲載されているドリームランド線の運行再開計画。写真の車両は常電導リニアの試作車両で、ドリームランド線のために造られた車両ではない(画像:筆者蔵、出典:大船駅周辺地区整備連絡協議会)

リニアモーターカーと聞くと、「なぜ、わずか5kmの路線にリニアを」と思われるかもしれないが、一般にリニアと聞いて想像する超電導リニア(リニア中央新幹線など)と常電導リニアは別物である。ドイツの「トランスラピッド」の流れをくむ常電導リニアは、通常の電磁石を用いるために浮上高が0.8~1cm程度と限られ(超電導リニアは10cm)、地震の多い日本では車両と軌道の接触事故が懸念されるために超高速運転には適さない。

しかし、構造が比較的簡単でコストも抑えられるため、わが国にもすでに実用化された路線が存在する。2005年に開催された「愛・地球博(愛知万博)」を機に運行開始された愛知高速交通東部丘陵線、通称「リニモ」である。

ドリームランド線の常電導リニアは1999年の開業を目指していたから、実現していれば初の常電導リニア実用路線となる予定だった。しかし、ダイエーの経営不振から、ドリームランド線再開に必要な200億~300億円規模の投資が難しくなったとし、2002年8月に事業が中止された。横浜ドリームランドも、同年2月に閉園している。

もし、リニアとして復活していれば、大船駅は2つの変わった乗り物を乗り継げる駅になったはずだ。だが、2005年に長らく放置されていたドリームランドモノレール構造物の撤去が完了し、この「夢」も儚く消え去った。

森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など

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