ほぼ無職の芸人が震災機に「福島移住」した深い訳 ぺんぎんナッツが福島で見た「希望と義理人情」

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そして2018年3月末、おだがいさまセンターの閉所に伴い、おだがいさまFMもその役割を終えた。ぺんぎんナッツは最終的に、開局から閉局までの7年間、同局のパーソナリティーを務めた。天野が最後にこう語る。

「彼らは当時、『俺たちにはもう、他に行くところがない』、『ここで生きていくしかない』っていう思いで福島に来たんだと思いますよ。その思いが、精神的にも肉体的にもギリギリの状態に追い詰められていた避難所の人たちとのそれと繋がった。

彼らを見て、話して、気持ちが和らいだという住民は少なくないと思います。そういう意味では、彼らは福島県民から愛されているんじゃないかな。人気はいつか落ちるし、飽きられる。けど、『愛されてる』ってのは、強いと思います」

今や誰もが認める「福島のタレント」に

天野の言う通り、「ぺんぎんナッツ」の2人はこの7年間で、地元のテレビやラジオにレギュラー番組を獲得。10年経った今では、すっかり「福島のタレント」として定着している。

福島県産品PRイベントの動画を撮影中の2人(写真:よしもと住みます芸人47webより)

「仕事のお陰で、今では千葉より福島のことのほうが良く知ってる、みたいになりましたけど、だからこそ、このままじゃ帰れねえなって言う気持ちはすごく強いです。(震災から)10年経っても、かかわった人たちが幸せになっていないし、『復旧』、『復興』って言われてますけど、まだまだ取り残された場所や人がいますからね」(中村)

「僕も帰るつもりはないですね。人は優しいし、何食べても美味しいし、居心地はいいし、なにより『お笑い』で食べていけますから。逆に福岡で暮らしてる母親をこっちに呼び寄せたいくらいです(笑)」(いなの)

福島に住み始めて10年。今では2人を「住みます芸人」ではなく、「福島出身の芸人」だと思っている県民も少なくないという。

(文中敬称略)

西岡 研介 ノンフィクションライター

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にしおか けんすけ / Kensuke Nishioka

1967年、大阪市生まれ。1990年に同志社大学法学部を卒業。1991年に神戸新聞社へ入社。社会部記者として、阪神・淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件などを取材。 1998年に『噂の眞相』編集部に移籍。則定衛東京高等検察庁検事長のスキャンダル、森喜朗内閣総理大臣(当時)の買春検挙歴報道などをスクープ。2年連続で編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞を受賞した。その後、『週刊文春』『週刊現代』記者を経て現在はフリーランスの取材記者。『週刊現代』時代の連載に加筆した著書『マングローブ――テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』(講談社)で、2008年、第30回講談社ノンフィクション賞を受賞。ほかの著書に『スキャンダルを追え!――「噂の眞相」トップ屋稼業』(講談社、2001年)、『襲撃――中田カウスの1000日戦争』(朝日新聞出版、2009年)、『ふたつの震災――[1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(松本創との共著、講談社、2012年)、『百田尚樹「殉愛」の真実』(共著、宝島社、2015年)などがある。

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