タリバンが「女性蔑視思想」を築いた3つの背景 イスラム法からタリバンの思想を読み解く

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アルカイダやイスラム国など過激組織をイスラム法の視点から分析する研究者は、「彼らの間では実際にコーランやハディース(ムハンマドの言行録)に依拠した主張も多く、過激な主張が荒唐無稽ではないことが問題の解決を難しくしている」と指摘する。

一夫多妻制や児童婚のように、イスラム法を柔軟に解釈することで、時代にそぐわなくなった制度を改変していくことが理論的には可能だ。しかし、タリバンのような保守的な勢力は、柔軟な解釈を拒否し、民主主義的な価値観や女性の権利を重視する現代社会と対立する

アフガン農村部の家長制度の伝統

さらに、タリバンの思想を形成しているのが、アフガニスタン農村部の部族社会や家父長制の伝統である。重要な決定権者は男性であり、そこに女性が入り込む余地はほとんどないとの考え方がある。

中東でも、家父長制の伝統が色濃いのがサウジアラビアであり、女性の権利侵害の象徴として後見人制度が問題となってきた。改革派とされるムハンマド皇太子が実権を持つようになり、女性がパスポートを取得したり、婚姻届や離婚届、出生届を後見人の許可なく役所に提出したりすることができるようになったものの、結婚そのものの判断など女性の制限は残ったままだ。

タリバンが前政権下で同伴者なしの女性の外出を禁じたのも、サウジの後見人制度と同じような考え方が背景にある。

タリバンの思想には、1980年代の国際政治の力学も反映されている。サウジの急進的なイスラム改革思想であるワッハーブ派の影響である。共産化を目論んだソ連とアメリカの代理戦争の舞台となったアフガニスタンから隣国パキスタンに逃れたアフガニスタン難民に、教育や寝食の場を提供したマドラサ(イスラム神学校)だった。

マドラサの多くは、デーオバンド派だが、1979年のイラン・イスラム革命でシーア派の伸長を恐れたサウジは、マドラサを支援し、後にタリバンを生み出すムジャヒディン(イスラム戦士)の間にサウジのワッハーブ派の急進的な思想が浸透した。

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