東武鉄道の車両、なぜ「魔改造」と呼ばれるのか? 部品自体は60年以上も使用されることがある

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ではなぜ東武鉄道は、車体更新が好きなのか。

勤務経験も含め60年以上も東武鉄道を支えてきた東武博物館・元名誉館長の花上嘉成氏は次のように話す。

東武200系(筆者撮影)
東武1800系1819編成(筆者撮影)

「車体更新をする本来の目的は、新車の投入による既存車両の活用である。例えば1990(平成2)年から「りょうもう」が製造され、順次200系に置き換えたが、それにより既存の1800系の転用先を見つけ出し、日光線の急行用に車両更新と編成変更を行い300系と350系を生み出したほか、館林地区のローカル線への格下げも行った」

1800系は1969(昭和44)年から1987(昭和62)年までの間に製造された伊勢崎線の急行「りょうもう」用の車両で、初期の車両は誕生から21年経っていたこともあり、最終増備の1編成を除いて、通勤車両と急行用の300・350系へ改造、余剰となった1編成が廃車された。

「東武鉄道は思い切って廃車にすることをしない、現役車両で車歴が浅いものは廃車にしないという考えが根強い。あえて列車を設定したり社内で愛称を募集したりといろいろなことをする、それが東武の車体更新の特徴だ」と花上氏は語った。

費用対効果も重視

もう1つの理由として「費用対効果対策の向上」がある。新形式の車両を製造すると車両の登録を行うのだが、この手続きにも大きな費用や手間がかかる。

しかし台車や台枠など主要部分を流用し、「これは新車ではなく、既存車両を改造した、いわゆる更新車両である」ということにすれば、登録に関わる費用などが新型車両を導入するよりはかからない。

東武の20400型(筆者撮影)

最近の20400型の改造においても東武鉄道の館林出張所にある津覇車両工業で改造を受けているため、車両メーカーで製造される新型車両よりも、製造や運搬費用も節約できるだろう。都心に近い場所でフル稼働していた車両をローカル線向けに改造して、さらに地方に転属させて車両を延命するやり方は、広いエリアに営業域を持つ東武鉄道ならではの考え方だと思う。

ところで、東武鉄道の近年の車体更新は津覇車両工業で行われているが、どんな会社なのだろう。同社のルーツは、昭和初期の東京・江東区南砂において、溶接工具や溶接棒の販売を事業として始めたことによる。その後、油圧ショベル・ブルドーザー・ホイールローダーなど、キャタピラージャパンの車体製造を中心に東武鉄道車両の改造も行っている。

東武鉄道との関わりは1954(昭和29)年に、関係会社として車体の改造を行う指定業者になったことから始まった。1957(昭和32)年には当時の東武鉄道・西新井工場敷地内において、自社工場を設立した。8000系の車体更新や18メートル級車両の改造も行っていた(現在は廃止)。

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