復興五輪なんて嘘「今も苦しむ被災者」悲痛な本音 五輪期間中に帰還困難区域で見た厳しい現実

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柴田さんの案内で浪江町を訪れる前、私は福島市に足を運んだ。東京五輪の会場となった「あづま総合運動公園」を訪ねるためだ。復興五輪の象徴としてソフトボールと野球の一部がここで行われた。試合があったのは、7月21、22、28日の3日間のみ。訪れた日には、ちょうど試合がなかった。

福島駅から運動公園までは車で20分程度だ。五輪を示すのぼりが十数本あっただけで、五輪をアピールする看板や横断幕などは周囲に見当たらない。運動公園に着くと、ようやく、「TOKYO 2020」の幕が目に入った。警備員や警察官のほかに人影はほとんどない。「復興」を掲げて誘致した東京五輪とは、結局、何だったのか。

福島市のあづま総合運動公園(筆者撮影)

俳優の吉永小百合さんは8月6日の朝日新聞朝刊オピニオン欄のインタビューで、東北被災地の「復興五輪」という理念も掲げた東京五輪に関する質問を受け、こう答えている。

「オリンピックについて語ることは難しいですね。ただ本当に復興五輪というのであれば、東北3県で開催するのならわかりますが、少しだけ東北に持ってくるというのは、どうなのでしょうか。ちょっとわからないですね」

「家を失っているのに五輪どころじゃない」

浪江町中心部は2017年に避難指示が解除された。それに伴って、自営業を再開しようとした60代男性は、私の取材にこう答えた。

「自分の事業を再開しようにも、仕入れ先が再開しておらず、環境が整っていない。復興五輪? 復興の現状を見せつけようとしたのなら、こっちで決勝をやればよかったんだ」

浪江町から福島市に避難している今野寿美雄さん(57)は、いつもの五輪では野球を中心に観戦を楽しんでいた。今回は「見る気がしなかった」。五輪期間中は作家の渡辺一枝さんや歌手の白崎映美さんらと被災地を回り、同じような境遇の人たちと話し込んできた。その中では「こっちは家を失っているのに、五輪どころじゃね」という言葉を多く耳にしたという。今野さん自身の生活の見通しも立っていない。

「これまでの五輪の開催地は廃れてきました。借金と箱物だけ残る。復興五輪もこれで過去になります。原発事故もその被害も過去のものになる。何のための五輪だったか、誰も明らかにしないまま、終わりました。これで、すべてが終わったことにされてしまうでしょう」

青木 美希 ジャーナリスト

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あおき みき / Miki Aoki

札幌市出身。北海タイムス(休刊)、北海道新聞を経て全国紙に勤務。東日本大震災の発生当初から被災地で現場取材を続けている。「警察裏金問題」、原発事故を検証する企画「プロメテウスの罠」、「手抜き除染」報道でそれぞれ取材班で新聞協会賞を受賞した。著書「地図から消される街」(講談社現代新書)で貧困ジャーナリズム大賞、日本医学ジャーナリスト協会賞特別賞など受賞。近著に「いないことにされる私たち」(朝日新聞出版)

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