どこが復興五輪?「被災者は今も放置」残酷な現実 コロナだけでなく原子力緊急事態宣言も発令中

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どんなコースだったのか。案をつくった双葉町教育委員会の橋本仁さんによると、復興が進んだ象徴「JR常磐線・双葉駅舎」とまったく復興が進んでいない「倒壊した家屋」の対比ができるコースだった。結局、そのコースは避難指示が解除されていないことを理由に拒まれ、聖火は双葉駅の周辺を回るだけになった。

橋本さんは今でも「聖火リレーの放送を通じて、復興が進む様子とまったく進んでいない様子の双方を、日本はもとより世界に発信したかった」と残念がる。

「大会が近づき、フレコンバッグを隠した」

福島県では、福島市の「あづま球場」が野球とソフトボールの会場になる。福島市に住む40代の男性は市内での通勤中、この10年間ほど毎日、フレコンバッグを見てきた。除染で取り除いた放射性廃棄物や汚染土を入れる、あの黒いバッグだ。

「今もあれを毎日見ているのに何が復興なのでしょうか。フレコンバッグの山は住宅地に近いところにあります。福島市でも五輪の競技が行われると決まると、徐々に鉄製の塀で覆われるようになり、見えなくなっています」

毎日新聞と社会調査研究センターが岩手、宮城、福島の被災3県を対象に、今年2月末に実施した世論調査によれば、東京五輪は「復興の後押しにはならない」と答えた人が61%にも達している。コロナ禍を前にして完全にかすんだとはいえ、そもそも福島の人たちは「復興五輪」を冷めた目で見ていたのだ。

福島県南相馬市で生まれ育った庄司範英(のりひで)さんもそんな1人だ。庄司さんは、妻と4人の子どもたちと一緒に戸建て住宅で暮らしていた。事故の際、市は市内全域の住民に避難を呼び掛け。スーパーもコンビニも閉まって食料が手に入らなくなり、庄司さん一家も避難する。

一家は新潟県を転々とした。最初はリゾート地・湯沢町のホテルに4カ月。ホテルの提供期間が終わると、長岡市の一軒家へ移った。避難世帯用に用意された住宅で、家賃9万円は公費で賄われた。

政府と福島県がその住宅提供を打ち切ったのは2017年3月末、「2020年東京五輪」の開催決定から3年半後、本番に向けた準備が本格化し始めたころだった。「除染などの生活環境が整ってきている」という理由からだ。

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