長距離、循環…かつての「国鉄旅」は魅力的だった 日本中へ「乗り換えなし」で行けた往年の日々

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駅を出るとぐるりと1週して同じ駅に戻る循環急行もあった。盛岡発釜石経由盛岡行きは時計回り「そとやま」と反時計回り「五葉」があった。札幌発胆振線経由札幌行きではどちら回りも「いぶり」だった。

普通列車にも上野発一ノ関行きの客車鈍行があり、途中機関車を2回交代して運転した。

長距離鈍行の宝庫といわれたのは山陰本線で、たとえば京都発で最も長い距離を走る列車は島根県の浜田行きであった。最長距離鈍行は門司を5時台に出発して福知山に23時台に到着する列車だった。いずれも手動ドアが開きっぱなしの客車を機関車が引いた。

これらの列車は、多様な需要を1本にまとめた列車ではあるが、さまざまな区間で特急券などが1枚ですむほか、鉄道ファンにとっては乗ること自体が大いなる旅だったのである。

稚内から西鹿児島まで走っていた夜行列車

新幹線が博多に達しても、夜行需要は残り、東京発九州行きの寝台列車は数多く運転された。食堂車も連結され、翌朝、食堂車営業開始のアナウンスで目覚める寝台車の旅は至福の時間であった。

その頃は空路がまだ一般的ではなく、出張客にも寝台特急は人気で、時間を節約したい人は新大阪、姫路、岡山あたりまで新幹線を利用し、そこから九州行きの寝台特急に乗り継ぐ需要も高かった。特急券が2枚必要だが、乗り継ぎ割引があった。

主要な路線には夜行列車があるのが当たり前で、当時の流行歌の歌詞にも夜行列車は数多く登場する。道内、四国内、九州内の夜行列車もあり、札幌から稚内、網走、釧路、函館行き、四国でも高松から宇和島、中村行き、九州では門司港から西鹿児島行きが熊本経由と大分経由の2本、さらに長崎・佐世保行きもあった。

現在は多くのルートが夜行高速バスにとって代わったが、四国内など夜行バスの運転がない区間にも夜行需要があったのだ。米子―広島間は木次線、芸備線経由の夜行急行「ちどり」があり、現在となっては廃止まで取り沙汰されているような閑散路線を、深夜に急行列車が走っていたのである。現在はこの間を高速バスが行きかうが、かといって夜行バスは運転されておらず、移動時間帯の趣向が変わったことを感じる。

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