野球部監督の叱責で16歳少年が自殺、遺族の訴え なぜ彼は死を選び、両親は9年後の今も闘うか
2年生になった6月には、顧問から捕球できないところにばかりノックされ「声を出せ」と怒鳴られた。さらに「いらんわ。おまえなんか制服に着替えて帰れ」「ベンチにも入るな」と叱責され、練習試合2試合を一塁側のバックネット裏で見るしかなかった。その日以降も「2年生なのに、そんなことをしていいのか」「ルールを知らん三塁じゃから、誰かルールを教えちゃれ」などと罵倒が続いた。
A君は「もう耐えられない」と一度退部。退部を申し出た際も「夏の大会前の3年生の気持ちがわからないのか。チームの士気が下がる」と叱られている。
しかし、同級生から野球部復帰を誘われるなか、3年生の引退とともに部にマネージャーがいなくなることもあって、マネージャーとして復部。顧問から「1回辞めたんじゃから、覚悟はできとるんじゃろうな」と威嚇するような態度をとられたものの、7月23日に復帰した。
その日のミーティングでは「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ、それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」「マネージャーなら、お前が書けや。マネージャーだったら、そんくらいせーや」と強い口調で叱責された。翌日の練習では「男のマネージャーなのだから声掛けしろ」などと怒鳴られたり、ノックの球出しのタイミングが悪いと怒られたりした。
野球部復帰3日目に起きた”事件”
復帰3日目の25日。猛暑の練習で「マネージャーなら声を出せ!声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねえんじゃ。元選手ならわかろうが」と怒鳴られた。足をつった1年生部員を介抱したが、氷を持ってくるのが遅いとして「マネージャーだったら対応しろ」などときつく叱られもした。
この後、顧問とA君との間で小さなすれ違いが起きる。他の部員が体調不良を訴えたため、顧問は氷を持ってこさせようとA君の名前を何回も大声で叫んだが、部室の清掃をしていたため気づかなかった。
練習後、顧問から炎天下のグラウンドに残され、「あのとき、何をしよったんだ」「聞きよるじゃろうが!」と大声で問い詰められた。だが、A君は黙っていた。何も答えないことに腹を立てた顧問に「熱中症で倒れた部員がいたら氷の用意をせい!」「他の(部の)マネージャーにしてもらっとるがな!」「部室におっても外の様子は気にしとけ!」などと怒鳴られ続けた。
学校を出た帰り際「体調不良者が出て大変じゃけど、これからもマネージャー頼むわ」と声をかけた同級生に対し、「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけだ」と返答した。その数時間後、A君は命を絶った。
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