弘中アナ語る小学校時代「休日は12時間勉強した」 記念受験で受けた慶應中等部に進学して得た事
それでも慶應に進むことにしたのは、母への恩返しになると思ったからだ。
「生意気かもしれないけれど、子ども心に『お母さん、がんばってるな』と思っていたんです。塾の送迎や食事の用意、過去問のコピー。支えてくれた母の期待に応えたかったし、『慶應なら大学受験もないからお母さんに負担をかけなくてすむ』とも思いました。結果的に、慶應は私に合っていたのでよかったんですけどね」
応援団長も女子力仕事も女子
入学した慶應中で、弘中さんは小さなカルチャーショックを受けることになる。クラスの半数を占める内部進学生には、生粋のお嬢さま、お坊ちゃまが少なくないと知った。
「隣の席の子に『どこに住んでいるの?』と聞かれて『川崎だよ』って答えると、キョトンとされちゃったんです。『都バスと山手線しか乗らないからわからない』と。おお、きみたちは多摩川を電車で越えたことがない人たちなんだね!って(笑)」
それでもみんな同じ中学生。心の垣根はすぐに取り払われ、一気に仲よくなった。そして「人生でもっとも楽しい3年間」と言い切る慶應義塾女子高校での青春時代が始まった。
「大学受験がないので、高校3年間をみっちり自分の好きなことに使えました。部活、課外活動、習い事、みんな打ち込むことを持っている人ばかり。濃い時間を過ごしました」
弘中さんは、学校行事にとことん熱中する高校生だった。
「女子校なので、応援団長も女子、ベニヤ板を切るのも釘を打つのも女子。みんなの個性や得意が融合したとき、すごいものができあがる。『私たち、やればできるじゃん!』って、共学だった中学時代にはない達成感がありました」
その感動が、テレビの世界で働く今につながっている。
「番組にかかわるすべての人が、自分の役割を責任を持って果たすとき、すごいものができあがる。私ってこういうことが大好きなんだって、今も日々実感しています」
だからこそ、勉強漬けになった小学生時代については、一片の後悔もないという。
「中学受験の3年間があったから、高校の3年間があった。でも、子どもによって勉強するベストな時期は違います。受験に迷っている人は、『この子はいつ勉強するのが向いているのかな』という視点で見るといいかもしれません」
(文/神素子)
1991年、神奈川県出身。テレビ朝日アナウンサー。中学受験を経験し、慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校へ進学し、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。2013年にテレビ朝日に入社。現在、「あざとくて何が悪いの?」「激レアさんを連れてきた。」「ノブナカなんなん?」などバラエティー番組を中心に活躍。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら