「100年に一度の危機」という新型コロナ感染症のパンデミック(世界的大流行)の真っただ中、東京五輪が強行されようとしている。
政府分科会の尾身茂会長が国会で指摘したように、本来は「パンデミックの中で五輪を開催するのは普通ではない」のに、観客上限1万人という有観客での開催がなし崩し的に決定された。そして、いまや開会式の観客についても2万人を上限に検討していると報じられている。また、結局、見送られることになったが、会場内での酒類販売の検討も伝えられた。
あまりにも世論を軽視しているし、強引すぎないか。
問題は、東京オリパラ組織委員会や政府など開催当局が「コロナ禍でも強行開催」「何が何でも五輪開催」という強硬姿勢を見せ続けているにもかかわらず、ほとんどの大手メディアがそれを鋭く批判したり、中止や開催再考を求めていないことだ。
その代わりに、開催当局者の言うことを論評したり、批判したりせずに、そのまま垂れ流す「東京五輪翼賛」報道に陥っている。特に、匿名の当局者からの情報を右から左に伝え、開催路線の既成事実化に一役買っている。
なぜこのような「五輪ありき」の報道がまかり通っているのか。
朝日、毎日、読売、日経の4紙はオフィシャルパートナー
朝日、毎日、読売、日経の大手4紙は2016年1月、4種類ある東京オリパラ大会のスポンサー契約のうち、3番目にランクされるオフィシャルパートナー(協賛金は約60億円)になった。さらに産経新聞と北海道新聞も2018年1月に4番目にランクされるオフィシャルサポーター(同約15億円)となった。
新聞社はこうしたスポンサー契約をすることで、東京オリパラのロゴやエンブレムを自由に使えるようになった。また、国際オリンピック委員会(IOC)や大会組織委などへの情報アクセスを確保できるようになった。
大手新聞社はきっと自らが日本を代表するメディアであるとの自負心とステータス、さらには他社との横並び意識からもスポンサー契約に踏み切ったことだろう。世代的に新聞社幹部が1964年の東京五輪大会の再現に純粋に夢を見た面もあったのかもしれない。
しかし、何といっても、一番のメリットは、五輪報道や五輪イベントを手厚くすることで広告収入の増加が図れることだろう。新聞不況に見舞われる大手新聞社にとって五輪は「カネのなる木」であり、それを見込んで多額の投資をした。
しかし、その一方で、報道の独立性が求められる新聞社が、五輪運営の内部に取り込まれることで、公正で客観的な報道ができるのかと心配されてきた。そして、今、その心配が現実化している。
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