東武桐生線、地方路線が秘める「都心直通」の底力 のどかな風景の中を浅草発着の特急が駆ける

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ほとんどの駅が桐生線開通と同時に開業しているが、ひとつだけ遅れてできた駅がある。それは阿左美(あざみ)駅。木村さんによると、この阿左美駅にもちょっとした見どころがあるという。

「阿左美駅は2020年に新しい駅舎ができて少しだけ移転したんです。実は旧駅のホームの下に縄文時代の遺跡が見つかりまして。今では古いホームや駅舎は撤去してしまいましたが、遺跡部分は保存されています」(木村さん)

阿左美駅の旧駅跡。左手に見える小屋の中に縄文遺跡がある(筆者撮影)

つまり阿左美駅の旧駅、廃駅を訪れるとすなわち縄文時代の遺跡を見物できるというわけだ。さっそく行ってみると、真新しい新駅舎と駅前広場から歩いて3分ほどの場所にそれはあった。風雨や夏の日差しから遺跡を守る小屋が建てられていて、窓からのぞくようにして遺跡を見ることができる。歴史好き、というかもはや古代ロマンの世界だが、そうした旅も桐生線の魅力の1つというわけだ。

何かと歴史を感じる路線

ほかにも桐生線には由緒ある駅がある。たとえば治良門橋(じろえんばし)駅がそうで、変わった駅名の由来は江戸時代の名士・天笠治良右衛門にあるという。なんでも、洪水で橋を流されて困っていた人たちを見かねて治良右衛門さんが私財を投じて石橋を架橋。これによって橋が流されることはなくなって、村人たちに深く感謝されたのだとか。

と、そんな江戸時代の人物の名を残したのが治良門橋駅だ。同じく三枚橋駅も治良右衛門さんが架けてくれた3つの石橋に由来する。地元の人たちの間で伝えられてきたものを駅名にして残す――。そういうところに開業当時の東武桐生線と地元の人たちとの関係性が透けて見えるような気がしてくるものだ。

「桐生市では若い人が少なくなって高校が合併したりして、その影響で桐生線の利用者も少しずつ減っているんです。それはもう時代の流れでしかたがないところだと思っています。ただ、地元の方々との関係があって支えられて今まで桐生線はやってきた。だからこれからも一緒に町を元気にして、支え合って行きたいと思っています」(木村さん)

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