紀州のドン・ファン裁判が「超難航しそう」な訳 和歌山カレー事件と共通する「状況証拠で逮捕」

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

あの事件は、今回の事件のちょうど20年前の1998年に起きた。7月25日の夕方に、和歌山県和歌山市園部で行われた地区の夏祭り。そこで振る舞われたカレーを食べた67人が急性ヒ素中毒となり、そのうち自治会長の男性(当時64)と副会長の男性(当時53歳)、小学校4年生の男子児童(当時10歳)、高校1年の女子生徒(当時16歳)の4人が死亡した。

事件は発生直後には食中毒と見られていた。ところが、被害者の吐瀉物や残っていたカレー、それに自治会長の解剖結果から青酸化合物が検出されたとされ、青酸化合物による無差別殺人事件として捜査本部が設置される。それも8月になって、警察庁の科学警察研究所によって4人の遺体からヒ素が検出されたことから死因をヒ素中毒に変更。二転三転する。

さらに現場で押収された紙コップから亜ヒ酸(ヒ素)が検出。この紙コップからカレーに混入されたとされ、残留していた亜ヒ酸とカレー中の亜ヒ酸、それに同地区に暮らす元保険外交員で主婦の林真須美死刑囚の家に保管されていたシロアリ駆除剤に含まれる亜ヒ酸の、いわゆる物質のDNAにあたる微量元素パターンが一致したとして逮捕される。

林死刑囚がヒ素を混入したところを見た証言はない

こちらも状況証拠の積み重ねだった。林死刑囚は一貫して容疑を全面否認していた。裁判でも黙秘を貫いた。だから、動機も解明されていない。

カレーの調理現場で林死刑囚が1人になる場面があった、その際に調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な行動をとっていた、という目撃証言もあった。しかし、どれも林死刑囚がカレーの鍋にヒ素を混入するところを直接見たものではなかった。

それでも、捜査当局は住民たちの証言をもとに1分刻みのタイムテーブルまで作り、林死刑囚にしかヒ素を混入できる機会がなかったことを立証した。逆に言えば、林死刑囚と犯行を直接結びつけるものは何もなかった。

一審の和歌山地裁は2002年12月11日に、求刑通り死刑を言い渡した。判決を不服として林死刑囚は、控訴、上告したが、2009年4月21日に最高裁が上告を棄却して死刑判決が確定している。

今回の不審死事件とカレー事件は、いわゆる「消去法」の捜査とよばれるものだ。彼女にしか「ヒ素を混入させる」「覚醒剤を飲ませる」機会はなかった、しかも、「ヒ素」を「覚醒剤」をもっていたのは彼女だけだ、ほかにはいない、疑う余地はない……として立証していく。

だが、仮に須藤容疑者が覚醒剤を入手していたとしても、それを実際に飲ませたかどうかを裏付ける直接証拠は今のところ何もない。県警は逮捕後の記者会見で、覚醒剤をどうやって摂取させたのか、との質問に対して、「今のところ、そのまま飲ませたか、何かに混ぜたかはわからない」と説明している。これからの容疑者の供述に頼るつもりだろう。

そこで須藤容疑者が覚醒剤の入手を認めたとしても、自分が使うためだった、もう使ってしまった、と主張したり、あるいは夫に頼まれて入手したもので、夫に渡した後はどうしたか知らない、などと言い出したりしたら、立証は困難をきわめる。

次ページ状況証拠だけの場合は裁判にも負担がかかる
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事