岡山では第一線で活躍中、「113系、115系」の現在 昭和、平成、令和を走り続けた都市間輸送の主役

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そこで見ていると、瀬戸大橋線と宇野線方面の普通列車には初代「マリンライナー」用の車両を2両ワンマン車に改造した213系が半数近く運用されている模様で、115系は3両のD編成のみが入る。ほかに朝晩と高校生の下校時間の頃合いに、113系4両のB編成がわずかにある。115系D編成の運用では、体質改善車も300代のセミクロス車も混用されているようだ。

115系D編成のうち6本は車号300代の車両で組成されるボックスシートを残すタイプ。その中のさらに2本は湘南色をまとう(岡山ー大元間、写真:久保田 敦)

300代の車内は、まさしく往時を彷彿とさせた。座席生地の茶色は国鉄当時の青と異なり、枕カバーも被せてあるが、座席フレームはグレーのペンキ塗り。壁は無地のモスグリーン、床は濃いグレー。荷棚は金網で、その荷棚や吊革を下げるステンレスパイプを支える上方のブラケットは白ペンキで塗装してある。上部にある支柱類はできるだけ天井色に同化させるという、往時の考えを読んだ覚えがある。目立つ色の吊革を採用する近年とは対照的だ。座席幅が狭い分、真ん中の通路は広い。

これでJNRの扇風機でもあればなあ…などと昔を思い出してみながら、茶屋町の高架駅から宇野みなと線に分かれる。ちなみに、瀬戸大橋線方面の115系普通は四国への乗り入れがなくなり、児島までとなった。宇野みなと線はローカル風情がひとしおで、かつて四国連絡の寝台特急が走っていたことも遠い記憶。格が下がった線路にピッチングが大きくなる。貫通路あたりは連結器のヒンジや緩衝装置が発する音なのか、騒々しさが増す。

終点の宇野は、海に接していたかつての位置からセットバックして久しい。入れ違いに発車する黄色の300代編成を見送り、通学生が去った後に無人の駅を出ると、広い駅前広場の公園と駐車場が広がる。

ワンマンのG編成は切妻全面の個性派車両

岡山へ戻り、次は山陽本線上り方面をたどり、赤穂線で折り返した。40Nと称する徹底した更新工事を行った113系B-19編成で雰囲気や座り心地の違いを味わい、その列車の終点の和気で後続を待った。すると、またもボックス座席のD-24編成に遭遇した。いささか古さが目立つタイプだが、これで新旧車両を本線輸送と支線で分けるとかの、運用上の区分はなさそうなことがわかった。

岡山都市圏を遠く離れ、兵庫との県境にあたる船坂峠を越える。往時の大幹線として勾配もカーブも緩やかだが、駅間は10kmも離れている。時速80kmあたりの定速で山間をたどる音は耳に優しく、平坦な直線を遮二無二走るより心地よい。乗客は3両に数えるほどしかおらず、人の出入りもないので、ボックスの向かい席に足を伸ばしてくつろぐ人の姿を久々に見た。

相生で赤穂線に乗り換える。岡山の電車は姫路までが運用範囲だが、朝と夕方以降に限られ、日中は相生が限界になる。ふと、到着したホームで転落防止ホロの隙間から車端をのぞき込むと、「日本国有鉄道」と「日本車輌昭和51年」の銘板が見えた。1976年生まれ、御年45歳か。

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