「生きててごめん」息子を追い詰めた私の一言 5日間音信不通になった息子の思いは…
とにかく息子が反応をくれたことに安堵し、今度は東京へ飛んでいきました。じかに会って「独りでたいへんだったね」と声をかけると、息子は大粒の涙を流しました。そして「死ねなくてごめん。俺なんかが生きててごめん」と言ったのです。「子どもにこんなことを言わせてしまう私は最低な母親だ」と思いました。ここでようやく私は苦しんでいる息子に目を向けるようになりました。
状況打開のため動いたけれど
しばらくして息子が実家に帰ってくると、状況を打開するために私たちはとにかくアクティブに動きます。いっしょに旅行したり、ボランティアに参加したりしました。しかし息子は私に合わせていただけで、しだいに元気がなくなっていきました。無表情になってしまった息子を見て私は、「もう自分たちだけで解決できる問題じゃないかもしれない」と思うようになりました。そこで親の会や心療内科の家族相談会に参加しはじめ、本を読んだり、講演会へ行ったりするようになりました。いろいろな体験を見聞きし、私は心の支えにしたい言葉にいくつか出会いました。
しかしなかにはまったく腑に落ちない言葉もあったのです。『不登校新聞』の樹木希林さんのインタビュー記事(400号)を読んだときのことでした。2点だけ納得がいきませんでした。
1つは、不登校のことを夫・内田裕也さんになぞらえて語られたことです。
樹木さんは「夫はありがたい存在だ」と言っていました。「有難(ありがた)い」は「難が有る」と書くことから、夫は難の人であり、だから樹木さんは成熟することができたという趣旨の内容でした。私は、「子どものことでたいへんかもしれないけれど、その子どもは親を成熟させてくれる、ありがたい存在なんだよ」と言われているように感じ、腹が立ちました。「毎日、子どものために、こんなにたいへんな思いをしているのに、子どもが親を成熟させてくれるわけがない」と思ったのです。
もう1つは、親は不登校の子にどう向き合えばよいのかとの質問に、「自分だけが助かる位置にいちゃダメだ。自分も降りていかないと」と答えられたことです。子どもと同じ景色を見るということだと思います。再び反感を覚えました。「いやいや、私たち親は見ている!」と。子どもと同じ視点に立てていない悪い母親だと責められているような気がしたのです。ところが息子の言動をきっかけに、樹木さんの語ったことが理解できるようになりました。
あるとき息子は拳を握りしめて怒りをあらわにしていました。理由を聞くと、知人に近況を聞かれた息子は、「今は何もしていない。母親に養ってもらっている」とありのまま答えたそうです。すると「うらやましい。俺もそんな身分になってみたいもんだ」と返され、「殴ってやりたいほど頭にきた」と言うのです。