この10年で「3つのこと」を諦めた日本の盲点 社会学者の開沼博が考える日本が変わらない訳

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「最悪の事態に対する備えのなさ」があぶり出された。これが3.11から得た最も大きな教訓でしょう。同時に、新型コロナ禍にも、それは相当程度当てはまる、といってもいいでしょう。最悪の事態を想定しないから、対応・意思決定が場当たり的になるし、問題意識の共有もばらつくし、価値観も極端に他罰的になる。他罰的でもいいんですが、それが自省ともセットでないと、やはり「外部」はなくなります。「自分たちの議論だけが絶対的に正しい」という罠から逃れられなくなる。

なぜそうなるのか。これは3.11の事故調などでも分析されてきたことですが、「最悪の事態を想定するとこうなります」と誰かが言ったら、周りから「お前は、その最悪の事態が起こると主張するのか」という反発が必ず返ってくるからです。これはおかしな話ですが、「こうである」とファクトを詳(つまび)らかにしたら、「こうなるにちがいない」とオピニオンを言っているものとして扱われ潰される。

もちろん、科学的根拠がなかったり、政治・経済的意図があったりで、危機に便乗してありえない「最悪の事態」を流布しようという輩が出てくることもよくあるわけですが、そういうものの存在が助長する部分も含めて、「最悪の事態」への備えがなされない。この点への問題意識がなかなか醸成されぬままに来てしまった10年間だったとは言えるでしょう。

日本がはまり込んでいる「構造」

――新著『日本の盲点』の中で、「危機は脆弱な部分に破滅をもたらし、脆弱でない部分を焼け太りさせる」と述べていらっしゃいますが、3.11、あるいは新型コロナ禍についてもそのような現象がみえるでしょうか。

『日本の盲点』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトへジャンプします)

はい。これについては、多くの人がそれぞれ具体的に思いつくことがあるでしょう。そして、何が焼け太りしていくのか、何が破滅していくのか、歴史的に、領域横断的に、より広い視点で捉え直していく必要があると考えています。

メディアと社会的現実のゆがみ、国際秩序の変容、多様化=分断の高度化……。『日本の盲点』では、現代社会の中で進むさまざまな現象について、具体的な事例をあげながら理論的考察を深めましたが、そこに共通しているのは、私たちが、それを見なくなっている、もっと正確にいうと「あってはならぬものを見て見ぬ振りをして過ごしていこうとする」構造にはまり込んでいる、そこに盲点があるということです。目の前の問題を棚上げせず、直視して向き合えるのか。3.11から10年のその後が問われるのはこれからです。

根本 直樹 ライター

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ねもと・なおき  / Naoki Nemoto

1967年生まれ。立教大学文学部仏文科中退。その後『週刊宝石』記者を経てフリーに。主に暴力団や半グレなどアンダーグラウンド分野の取材・執筆活動を続けている。

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