「まだお父さんは寝ていたので、お父さんの口に布団や枕を押し当てて。全部の体重をかけて、息をとめようとしたんですが、子どもなので全然そんな力もなく。お父さんも途中で起きて、私がいたずらをしているんだと思ったようです。で、『何しているんだよ』みたいに軽く言ったんですけれど、私は大泣きして『ごめん、ごめん』って謝って。お父さんからしたらなんで泣いているのかも、なんで謝っているのかもわからなかったと思います」
台所に戻った寧音さんが「お父さん殺せなかった」と告げると、母親は「あ、そう」と答えたのみでした。以降、この件について母が口にすることはなかったといいます。
4歳の女の子が父親を殺すなど無理なことは、母親は百も承知だったはずです。でもそれを寧音さんが、どれほど本気で実行せねばと思いつめたか。寧音さん自身はこれも「自分のことじゃない感じ」がするといい、取り乱すことなく話を続けるのでした。
暴力は、弱い立場の寧音さんに連鎖した
小学校に入る少し前、両親はようやく別居します。寧音さんは母親と兄と3人で暮らし始めましたが、すると今度は、母親から子どもたちへの暴力や暴言、ネグレクトがひどくなっていきました。
「最初は母も(父と離れて)ほっとしたみたいで平和だったんですけれど、怒るときの度合いがだんだん、だんだんエスカレートしていって。殴る蹴るは当たり前だし、子どもが言うことを聞かないとか、思いどおりにならないとかになると、わーっと怒鳴りだしたり、ものを使って叩いたりして。もう、すごかったです」
まるで母親が以前、父から受けていたDVの再現です。別居前の母親は「いつも机に突っ伏して、怒るエネルギーすらない感じ」だったのですが、ようやく怒る気力が戻ってきたのでしょうか。でも、その怒りをぶつける相手が子どもであっていいはずはありません。
寧音さんはしかも、兄からも暴力をふるわれていました。兄も母から受けたような暴力を、自分よりも弱い寧音さんを相手に再現していたのです。さらに兄は小学校高学年になると、寝ている寧音さんの服を脱がせ、身体を触るようにもなっていました。
「私が7歳のときから4年間くらいずっと、ほぼ毎晩という感じでした。私が5年生のころに一度、母が現場を見ているんですけれど、そのとき1回怒っただけでは何も変わらなくて。母親はクレーマー体質だったので、それを利用じゃないですけど、役所に『こうなるのは、もっと広い部屋の(公営住宅の)抽選に当たらないからだ!』って怒鳴り込んで。私も連れていかれて、フロアに響き渡るくらいの大声で『この子が兄から性被害にあっている』と言われて、もう恥ずかしくて恥ずかしくて。とにかく早く帰りたかった」
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