スズキ「91歳のカリスマ」引退が示す大転換期 自動車業界のレジェンドが第一線から退く

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

長男である鈴木俊宏氏に兼務していた社長を譲ったのは2015年。だが、社長やCEOの肩書が外れても、スズキのトップは修氏であることに変わりはなかった。2016年の東洋経済のインタビューで、「一歩引いて、社長を前面に立ててもり立てては」と問うと、「私には40年の経験がある。(役員たちは)俺に勝て。それには勉強しろ」と強調し、「取締役会で『あなた、辞めなさい』と言われたら、僕はさっさと辞めますわ。それが最高の花道だ」と終始強気だった。

2016年10月にトヨタとの提携交渉開始を決定。その記者会見で「最大の課題としていた提携にメドを付けた。これを機にもう少し社長を前面に押し立てる考えは」と改めて記者が尋ねると、「企業経営者というのは『これで一段落』ということを考えていないと思いますよ。チャレンジするということ、企業経営を社会のためにやっていくということはいつまで経っても変わらないんじゃないですかね。あなたのおっしゃることは参考にさせていただきますが、私は全然違っていると申しておきます」と述べ、隣に座ったトヨタの豊田章男社長を「さすがですね」とうならせていた。

会長の肩書を捨てても“現役”

しかし、近年は長期政権もマイナス面が見え始めていた。2016年には自動車開発における燃費・排出ガスの試験方法の不正が発覚。2018年には完成検査の不正も判明した。当初、スズキは「適切に実施されている」としていたが、後に多くの改善や不正行為が見つかった。その一因として、「会長に物を言えない体質が年々強まっていったからではないか」(スズキ元役員)と指摘する声も聞かれた。

スズキが100周年を迎えた2020年に会長の勇退が噂されたものの、結局は続投となった。「生涯現役」を貫くかと思われたが、2021年6月で会長を退任し相談役に就く。2月24日の会見で新たに発表した中期経営計画に触れ、修会長は「(電動化技術の強化を軸とした)着実な実行を推進するために、役員体制を一新して後進に譲ることに決めました」と説明した。

もっとも、「退任するが現役でいるわけですから逃げも隠れもしません。相談役を受けることにしましたから、肩書を捨てても現役であります。どうぞよろしくご相談ください」と語るなど、”オサム節”は健在だった。俊宏社長は「会長自身は生涯現役だと言われていましたので、こういうタイミングは思ってもみなかった。中計をやりきる。軽自動車を守り抜く。それが私のやるべきこと」と決意を語った。

自動車業界は電動化や自動運転など100年に一度といわれる変革期の真っ最中。カリスマから名実ともに運転席を託された経営陣は、難局を乗り切っていけるのか。その成否によって修氏の「引き際」の評価も決まってくる。

東洋経済プラスで配信している「スズキの『カリスマ』引退」では、鈴木修会長が経営に対する考えを詳細に語った下記のインタビュー(『週刊東洋経済』2016年10月8日号)を無料でお読みいただけます。
前編「私には40年の経験がある。社長よ、俺に勝て」
中編「若手が先代を追い越せば、承継は可能だ」
後編「“辞めろ”と言われたら、それが最高の花道だ」
山田 雄大 東洋経済 コラムニスト

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

やまだ たけひろ / Takehiro Yamada

1971年生まれ。1994年、上智大学経済学部卒、東洋経済新報社入社。『週刊東洋経済』編集部に在籍したこともあるが、記者生活の大半は業界担当の現場記者。情報通信やインターネット、電機、自動車、鉄鋼業界などを担当。日本証券アナリスト協会検定会員。2006年には同期の山田雄一郎記者との共著『トリックスター 「村上ファンド」4444億円の闇』(東洋経済新報社)を著す。社内に山田姓が多いため「たけひろ」ではなく「ゆうだい」と呼ばれる。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事