渋沢栄一の「鉄道初体験」は意外な場所だった 日本での開業より前に可能性を見抜いた洞察力

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渋沢栄一は40社以上の鉄道会社に関与し、日本の鉄道発展に大きな役割を果たした(写真:Caito/PIXTA)
2月14日放送開始のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一(1840~1931)。日本の「資本主義の父」とも呼ばれる渋沢は、明治から大正にかけての近代日本発展に大きな足跡を残しましたが、鉄道の発展にも大きな役割をはたしました。現在の東北本線などを開業させた日本初の私鉄、日本鉄道をはじめ、渋沢が関与した鉄道会社は40社以上にのぼります。
渋沢が鉄道の可能性を見抜いた「出会い」はいつだったのでしょうか。都市計画や鉄道などをテーマに取材するフリーランスライター、小川裕夫さんの新著『渋沢栄一と鉄道』から、一部を抜粋してご紹介します。

初乗車は「日本初の鉄道」ではない

「いつから鉄道が好きなんですか?」

鉄道ファンだったら、一度は他人からそう質問された経験があるだろう。暮らしの中に自然と鉄道が溶け込んでいる現在、初めての鉄道体験がいつだったのかを覚えている人は少ない。多くの鉄道ファンは、気がついたら列車に乗って行動するようになっていた、いつの間にか鉄道を好きになっていたと口にするに違いない。

それでは、渋沢が初めて鉄道を体験したのはいつだったのか? 渋沢が生まれた1840(天保11)年は、当然ながら日本国内に鉄道は走っていない。日本で公式に初開業した鉄道は、新橋(後の汐留)駅と横浜(現・桜木町)駅とを結んだ。同区間の開業は1872(明治5)年。このときだろうか? 確かに、同区間の開業日、記念列車が運行されて渋沢はそれに乗車している。しかし、これが渋沢の鉄道初体験ではない。では、品川駅―横浜駅間は前年に仮開業を果たしていたから、そのときか? 実はこれも違う。

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