「笑いを取れない人」が知らないジョークの法則 進化生物学者が解き明かすユーモアの科学

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どんな文化にも笑いは存在するし、別の言語を話す人でも笑い声は聞けばわかる。赤ん坊も笑うという行動を、目も開かず耳も聞こえないうちから身に付けている 。

このような特徴から考えると、笑いが人間の心にもとから備わっているのはほぼ間違いないし、私のような進化生物学者だと「笑いは何の役に立っているのか?」というお決まりの疑問が即座に浮かんでくる。進化によってなぜ私たちは笑うようになったのだろうか?

「笑いの学者」が目指していること

私は進化生物学者で、これまでは人間の心よりももっぱら植物のなぜを調べてきたので、この分野ではいわばもぐりだ。

調べたところ、アリストテレス(前384─前322)以降、アンリ・ベルクソン、チャールズ・ダーウィン、ルネ・デカルト、ジグムント・フロイト、トマス・ホッブズ、イマヌエル・カント、アルトゥル・ショーペンハウアーなど、そうそうたる偉人が笑いについて書いている。

最近のある学者は、「学者が笑いについて偉そうに語ることほど興ざめするものはない」と断ったうえで、まさにその言葉を自ら証明している。しかし偉そうな言葉も時にはウケることがある。

教皇は何で支払いをする?
PayPalで。〔訳注:同じ発音のpapal(教皇の)と掛けている〕

笑いの学者たちは何を目指しているのだろうか? ピエロのような格好でもしたいのだろうか? それならふつうの学者と見分けがつく。おっと、話が脱線した。

The Primer of Humor Research(ユーモア研究入門)の編者であるユーモア研究界の重鎮は、私のように首を突っ込んでくる人間を「見慣れぬ害虫」呼ばわりして、ジョークのセンスがないと斬り捨てる。学者が笑われるのを怖がって、エンターテイナーが笑われないのを怖がるなんて、何て不思議な世界だ。

学術書『Handbook of Humor Research(ユーモア研究ハンドブック)』の編者は、「理由はよくわからないが、多くの研究者はユーモア研究の論文を1本か2本出しただけで、ほかの研究分野に移ってしまう」と嘆いている。重鎮の容赦ない言葉に逃げ出してしまうのかもしれない。

ナメクジ研究者も同じように長くは続かない。笑いも軟体動物も、学者にとっては鬼門らしい。どうやら、深入りしないほうがいい分野というものがあるようだ。

ある男が映画館に入って席に座ると、隣の席に大きなナメクジ(slug)が座っていた。
男は驚いて、「ここで何をしてるんだ?」と聞いた。
するとナメクジはこう答えた。「脚本が気に入ったんだ」〔訳注:台本のト書きのことをslugという〕

ナメクジもそれにまつわるジョークも、いっさい道案内にはならない。ユーモアを解明する長い道のりでは、そこいら中に袋小路が待ち受けているのだ。

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