「笑いを取れない人」が知らないジョークの法則 進化生物学者が解き明かすユーモアの科学
ロボットにジョークを言わせる方法を論じたある論文の冒頭に、「第一に笑いはユーモアと強く結びついている」と書いてある。「当たり前じゃないか!」と突っかかりたくなるかもしれないが、笑いとユーモアははっきりと区別しなければならない。
ユーモアは刺激で、笑いはそれに対する反応だ。この2つは別々のもので、スタンダップコメディアンなら身に染みてわかっているとおり、どちらか一方しか起こらないこともある。大物コメディアンのケン・ダッド卿(1927─2018)は、コメディーの腕を「笑ってもらうためのユーモアの芸当」と定義している。
ナメクジのジョークのように、ユーモアだとわかっても声を出して笑うほどではないジョークもある。逆に、ユーモアという刺激がなくてもくすぐられたら笑ってしまう。心をくすぐるジョークはいろいろなことを教えてくれそうだ。
スケベは鳥の羽根を使う。ヘンタイはニワトリを丸ごと使う。
笑いの仕組みを科学的に解明する
笑いについて誰でも直感的に知っていることが2つある。笑いは社会現象であるということと、どんなユーモアでも人が面白がらないと笑いにならないということだ。
心理学者のロバート・プロヴァインは、いろいろな会話を盗み聞きして、たいていの笑いが起こるのは誰かが面白いことを言ったときではなく、ふつうのやり取りの最中だということを発見した。バーなど人が集まっているところに行っておしゃべりに耳を傾ければ、誰でも確かめられる。
私も確かめてみたところ、そのとおりだった。チャールズ・ダーウィンもそれを知っていて、「成人している若者は気分がハイで、いつも意味なく笑っている」と1872年に書いている。
ユーモアがどういうふうに作用して、なぜ私たちは笑うのか、それを解き明かすことはできるのだろうか? それはまるで、風船のからくりを針を使って調べようとするようなものだろうか? ジョークを説明すると、面白さが膨らむどころかしぼんでしまうのはなぜだろうか?
私が掘り下げるとおり、それは科学で説明できる。しかし、美しいものや楽しいものを分析しようとすると、その瞬間にそれが壊れて台無しになってしまうとも言われている。ちょうど、ドクドクしている心臓をメスを使って調べようとするようなものだというのだ。
だが私は、けっしてそんなことはないと断言する。笑いのしくみを解明すれば、楽しさは減るどころか増えるのだ。
(翻訳:水谷淳)
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