「ジョン・レノン」繋がりから見えた新たな真実 幼い頃からの歴史を次世代に伝える男の証言

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――ツアーは1日に4回ですね。

ええ。1回の最大参加人数は15人です。一般公開は3月から11月で、年間の平均訪問者数は約1万2000人です。

英国だけでなく、アメリカなど世界各地の人が訪れます。欧州はドイツ、フランス、イタリア、ノルウェー、スウェーデンが多いですね。それから日本、ブラジル、オーストラリア、ロシアなど……。さまざまな人が来てくれるので、ツアーをしている私も楽しんで話ができます。

休憩時間には火災報知器の確認や経理関係の雑務、場合によっては取材対応もあります。でも、管理人としてのメインの仕事は、メンディップスで提供する、ジョンと家族、ビートルズに関する情報が正確であることを常に確認することです。毎日同じことの繰り返しということがまったくなく、1日はあっという間に過ぎていきます。

今は住み込みではないので、仕事の後は防犯アラームをセットして、家に帰ります。夏は通常の管理に加え、芝や植木を刈ったり、花の手入れをしたりという作業もありますね。

妻はポール・マッカートニーの家の管理人

――コリンさんの奥様、シルビアさんはフォースリンの管理人。夫婦でジョンとポールの家を管理するのは非常にユニークだと思います。

2017年にはリバプール市の「ツーリズム・スター・オブ・ザ・イヤー」を夫婦で受賞し、とても誇りに思っています! シルビアも、私と同じように応募して、面接を受けて、管理人になりました。シルビアも私と同様、ビートルズファンなんです。

メンディップスの管理人コリンと妻のシルビア。2007年7月(写真:越膳こずえ)

メンディップスとフォースリンの仕事はほとんど同じです。仕事を交換したこともありますが、最終的にはそれをやめました。

お互い、それぞれの家の管理人として知られるようになっていましたし、私はメンディップス、シルビアはフォースリンについての知識を深めていましたから。

ポールの弟のマイク・マッカートニーはとても親切で、シルビアと何度か直接会い、自分とポールの暮らしについて詳しく話をしてくれました。ですから、その貴重な情報を語ることができるのは彼女しかいません(シルビアは2020年4月に退職)。

――メンディップスのツアーには、私も何度も参加しましたが、毎回、新しい部分があって退屈したことがありません。

それはうれしいですね。ジョンの歴史だけではなく、自分の歴史やリバプールの歴史の話を伝える一端を担うという、ヨーコ・オノやナショナル・トラスト(メンディップスの管理者)から求められていることを実感できた私は、そこからどんどん発展させ、探究を続けました。

ジョンの人生を掘り下げる中で、自分やナショナル・トラストがこれまで知らなかった事実を発見し、それを記録するようになった。それで、自分のツアーにも奥行きが出てきたんだと思います。

実際、去年話していた内容について、今年になってまったく反対の事実が判明するとか、そういうケースもあるんですね。

例えば、ジョンは1945年から1963年までメンディップスに住んでいたとされていましたが、実際にジョンが移ってきたのは1946年の春だったことが判明しています。ジョンの母親がニューカッスル・ロードの実家から引っ越して、ボーイフレンドのボビーと暮らし始めたのは1946年の春だったんです。ミミがジョンを引き取ろうとしたのは、そのタイミングでした。

私は常にリサーチをして、情報収集しているのですが、ジョンの学生時代の親友ピート・ショットンはある日突然、この家の前に立っていました。「コリンさんですよね?」と声をかけられました。

彼の顔はすぐにわかりました。「そうですよ」と答えると、「お忙しいですか?」と。ちょうどお昼休みの時間だったので、よかったら中に入りませんかと誘いました。

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