「奴らは最低」ビートルズ活動初期の意外な秘話 ジョンとポールが初めて出会った日

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ハンブルクから戻ったビートルズは、リザランド・タウン・ホールでのコンサートに出演しました。最近、ビリー・J・クレイマー(ビートルズとほぼ同世代の歌手)からこういう話を聞きました。「幕が開いてビートルズがステージに登場した途端、今まで聞いたことのない音楽が始まり、観客が怒涛のようにステージに押し寄せた」と。ベースはチャス・ニュービーが担当していました。

私とのインタビューで、チャスはこう話しました。「自分はベースを弾いたことがなかったけれど、ビートルズはどうしてもベーシストが必要で、助っ人として駆り出されたんです。革ジャケットとベースを借りて、目立たないように後ろに立っていました」と。

そしてこう言いました。「ハンブルクへ行く前に聴いた演奏とは桁違いだった。リハーサルで彼らのパフォーマンスの凄さに圧倒されました。本番でポール・マッカートニーが『のっぽのサリー』を歌い始めた瞬間、会場は爆発したかのようでした」とね。

最低のバンドから最高のバンドへ

――リザランド・タウン・ホールでの凱旋公演が、大きな存在への第一歩になった。

タイミングも良かったのでしょう。リバプールのビートミュージック・シーンが勢いづいてきた時期でしたから。その相乗効果もあって、ビートルズはまさに一晩で、「最低のバンド」から「リバプールで最高のバンド」になったんです。

一方、リバプールでナンバーワンのバンドだったロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズにいたリンゴはこう言っています。「僕らがハンブルクから戻った時、リバプールのシーンは変わっていた。リバプールで一番のバンドとしてハンブルクに渡ったけれど、戻って来たらそうではなくなってしまった。自分たちのピークが過ぎたことを実感した」と。リンゴは時代が変わったことを肌で感じていたんでしょうね。

――コリンさん自身、いつビートルズのファンになったのですか。

「ラヴ・ミー・ドゥ」がリリースされた時です。もちろん、リバプールでは有名でしたから、皆レコードが出るのを楽しみにしていました。

実際のコンサート? ビートルズが有名になってからですが、リバプールのエンパイア・シアター(100年以上の歴史を持つリバプールの劇場)で見ました。「見ました」ですよ。音楽は全然聴こえませんでした。

――歓声で演奏が聴こえないというのは、本当だったんですね。

その通りです。私は当時ティーンエイジャーで、友だちと2人で行ったんですが、女の子があんなふうになるのを見たのは、後にも先にもあの時だけです。集団ヒステリー状態です。みんな座席の上で飛び跳ねて、悲鳴を上げているんですから。

前座の演奏からそうなんです。幕が上がった瞬間から、ビートルズに対する期待感が跳ね上がって、居ても立ってもいられなかったんでしょう。だから、前座の歌手やバンドの演奏も全然聴こえない。

ようやくビートルズが出てきたら、周りから歓声の波が押し寄せて……。とにかく「すごい」の一言です。劇場を出たら、私も友だちも耳鳴りが激しくて、自分たちの話し声も聞こえない。演奏のせいではなく、女の子の金切り声のせいです。

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