「大切な人との別れ」が辛い人に伝えたい7名言 深い悲しみと向き合っていくためのアドバイス
悲しみを他人に押しつける件についてだが、しじゅう「悲しい、悲しい」と泣きながら社会生活を送りたい人などいない。感情をさらけだすのは、信頼の証という友への贈り物とも考えられる。また相手が自分の感情と向き合うきっかけにもなりうる。
――マーサ・ヒックマン
みっともないところは見せないようにしよう?落ちついて、自制心をなくさないようにしよう?やせ我慢はほどほどに。心が壊れてしまったというのに、落ち着いてなどいられるでしょうか。
人前で悲しみを見せない人、麗(うらら)かな日曜の午後に「こんにちは」と声をかけられたかのように笑顔でお悔やみの言葉を受けとめる人を、とかく私たちはほめそやします。偉いわ。立派よ。一度も涙を見せないなんて。
けれど、感情をよろいで覆い隠して誰のためになるのでしょう?本人でしょうか。それとも自分の身に不幸が降りかかることなど考えたこともなく、悲しみが伝染するのを恐れる弔問客?
ある友人は言いました。「目の前で誰かが泣きだしたら、私はその涙を贈り物としてありがたく受け取る」
自然が刻むリズムが亡き人々を生かしている
あたかも眠っているように、静かに音もなく飛沫も散らさず満ちてゆく潮路にのって、私は船出がしたいのだ。果てなき海原の彼方から流れてきたものが、今ふたたび故郷へ帰ろうとしている。
――アルフレッド・テニスン(イギリスの詩人)
自然が刻む絶え間ないリズムを、テニスンは力強くうたいました。潮の満干や月の満ち欠けや規則正しい星々の自転、どれもおなじみの自然の流れです。ラマダン、イースター、過ぎ越しの祝いといった宗教行事を月の満ち欠けや太陽を回る地球の動きにあわせて祝う私たちもまた、滔々(とうとう)たる生命の流れに組みこまれているのです。
自然界で高らかに鳴り響くこのリズムが、私たちの感覚と理性の届かない場所で今も亡き人々を生かしている――そう願い、信じてみませんか?
テニスンの言う「故郷」には、私たちのうちで最も恵まれた者でさえ手の届かない滋養と安全と成長の可能性とが染みこんでいるのだと思い描いてみませんか?
無料会員登録はこちら
ログインはこちら