ゴア元米副大統領の「二面性」とは? 田坂広志 多摩大学大学院教授に聞く(3)

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「自己陶酔」の危うさ

――なるほど、「冷静に自分を見ている、もう一人の自分」ですか・・・。では、なぜ、その「もう一人の自分」が必要なのでしょうか?

それには、一つの明確な理由があります。

「自己陶酔」に陥らないためです。

裏返して言えば、どれほど情熱的で思いの込められたスピーチでも、そこに、ある種の「自己陶酔」や「自己愛(ナルシシズム)」を感じた瞬間に、聴衆の多くは、心が冷めるか、気持ちが退くからです。

従って、優れた話者は、情熱的に、思いを込めて話しながらも、もう一人の自分が、その自分を冷静に、客観的に見つめながら、抑制を効かせていくのです。
 優れたスピーチとは、ただ感情に任せ、情熱的に、思いを込めて語るスピーチではありません。どこかに、必ず「抑制」があります。感情に任せ、情熱的に、思いを込めて語っているようで、どこか深くに、静かな「抑制」があるのです。

特に、それは、国家リーダーや政治家などの「職業的な話者」の場合は、必然的な条件になります。なぜなら、彼らは、異なった聴衆に対して、同じテーマを、同じ情熱を持って、何度も、何度も語ることが職業だからです。
 こうした立場の話者は、そのスピーチに熟達すればするほど、自然に、そして、必然的に、「情熱的に語る自分」と「それを冷静に見ている自分」という二面性を身につけるようになっていきます。

しかし、通常の聴衆から見ると、その「冷静な人格」は、ほとんど気がつくことはありません。聴衆の中に、プロフェッショナルの話者がいたときのみ、その「冷静な人格」の存在に気がつくでしょう。

次ページ「素人の感動話」の「限界」とは?
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事