エアガンで撃たれても遊び?いじめ裁判の難点 被害者はPTSDになり、今も苦しみ続けている

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また判決では、佐藤さんがいじめについて担任ら学校側に申告していないことを挙げている。佐藤さんがけがをしていると認識している教員はいなかった、とした。

しかし、実際は違う可能性がある。準備書面などによると、いじめ発覚直前、2012年10月19日の合唱コンクールの練習時に、佐藤さんが同級生に胸ぐらをつかまれて、壁に押し付けられていたのを担任は目撃をした。

加害者側の同級生は「僕のほうを見て笑ったから」と弁解し、佐藤さんは否定したが、担任は「喧嘩両成敗」としてお互い謝罪させた。担任は2014年3月29日の家庭訪問時に、「このようなこと(=喧嘩両成敗)をして申し訳ない」と謝罪している。

「担任の先生は私が暴力を受けている時も、見て見ぬふりをしていました。そんな先生に相談することができません。いじめに苦しむ人は、その場をしのぐことで精一杯で、どこに助けを求めればよいのかわかりません。『相談すれば、必ず救ってくれる』という確信が持てず、声をあげることはできません。私がまさにそうでした」(佐藤さんの意見陳述)。

もう一つの大きな疑問は、同級生の行為に対する判断だ。

佐藤さんをエアガンで脅して自宅から現金を持ってこさせたこと、現金を持ってこなかったことを理由に暴行を加えたことについて、一審では不法行為を認めている。一方で、商業施設に遊びに行ったときに同級生に現金を渡していたことに対しては、佐藤さんが「自発的に交付した」などとし、不法行為とは認めていない。

ちなみに前述した自宅近くの神社で行われていたサバイバルゲームについても、佐藤さんに弾が当てられたのは数発程度で「中学1年生男子間の悪ふざけ、いたずら、遊びの類い」とし、不法行為として認めていない。

分断的に見てしまうと把握が難しい

この裁判はいじめ問題の難しさを示している。

いじめは目撃者のいないところで行われることがあり、仮に目撃者がいたとしても、その集団内の人間関係を知らなければ、いじめか否かを把握するのは難しい。その意味で、一つ1つの行為を分断的に見てしまうと、いじめと認識されにくくなる。

控訴審の意見陳述を佐藤さんはこう締めくくった。

「私は、12歳だった当時の僕のため、そして、同じようにいじめ被害に苦しむ人のために、もう一度、勇気を振り絞って闘いたいと思います。この裁判を通して、いじめで苦しむ子が少しでも減るような世の中になることを心から願っています」

いじめがなくなった後でも、すべてが解決したわけではない。佐藤さんは今もPTSDに悩まされ、人間不信が強まっており、新たな人間関係を築く難しさがある。就職への不安もある。それだけでなく、フラッシュバックに悩まされ、記憶のない間に自殺未遂を繰り返す。

いじめが止まったとしても、いじめ後遺症という被害は続く。解決のための一歩としては、事実関係の解明、責任の所在と真摯な謝罪、再発防止策が必要になるだろう。

渋井 哲也 フリーライター

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しぶい てつや / Tetsuya Shibui

1969年栃木県生まれ。 1993年長野日報社入社。 1998年退社後、フリーに。 若者の生きづらさ、自殺、自傷行為、家出、援助交際、少年犯罪、いじめ、教育問題、ネットコミュニケーション、ネット犯罪などを取材。

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