隈研吾が語る、コロナが都市計画に与えた警告 機能を柔軟に変える都市が生き残っていく

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──隈さん自身も東京で超高層タワーの設計に携わっていますが、矛盾はありませんか。

高輪ゲートウェイ駅/敷地は以前、JRの線路が東京湾のある海側と、山の手の住宅街を分断していた。駅舎だけでなく、配置や動線を含め、建築全体がまちをつなぎ直すことを意図した ©朝日新聞社

僕にとってはオオバコモデルのわなに、改めて覚醒するいいチャンスでしたね。東京は明治維新のときに、それまで独自の生態系を築いていた江戸のまちを捨てて「近代化」に走った。

自然環境や歴史など、都市の与条件は欧米とは違うのに無理やり合わせたものだから、発展は奇形的でした。

戦後はオオバコに入ることがエリートであり、そのハコは高ければ高いほどエラい、という超高層ヒエラルキーみたいな意識に、国民が洗脳されました。

それで日本人が幸福になったかといえば、怪しい。何よりも、僕自身がそういうプロジェクトに関わったことで、気づくことができたんです。

──テレワークの浸透により、都心の一等地にあるビルですら、テナントのオフィス離れが進行中で、隈さんの言う超高層ヒエラルキーが崩れてきています。

角川武蔵野ミュージアム/2020年11月グランドオープン予定。ここでは武蔵野台地という立地と「石」という素材に着目。外壁に花崗岩の板材2万枚を貼り付け、地形そのものが建築になったような荒々しさを表現している ©朝日新聞社

毎日ハコに通っていれば、給料がもらえて、それで郊外に自分のハコを買って生涯安泰……なんてことを信じている人は、もう誰もいないでしょう。つまり、オオバコモデルは戦後の、しかも昭和に限定したフィクションだったんですよ。

コロナ以前の僕は、週1回の頻度で海外出張に出ることが日常でした。欧米、中東、アジアと世界中をぐるぐる回っていましたが、それは自分が現実に住んでいる東京の問題を、先送りにしたかったからでもあった。

でも、自粛でどこにも移動できなくなって、いよいよ自分で落とし前をつけないといけないな、という段階になった。今、自分の中で、「日本とは何か、何が日本なのか」という問いを、繰り返し考えています。

不自然さが噴出する

──その答えは、どんなものでしょうか

今回、コロナ禍の前線で仕事をしてくれた医療関係者、スーパーの店員さん、トラックのドライバー、ごみの収集をしてくださる人、おいしい食べ物を提供した飲食店の人たち。他者に安心と楽しみを与える人たちの、仕事のクオリティーの高さを、改めてすごいと思いました。

戦後の日本は、ほかに類を見ない高品質の自動車と家電製品を作り出して、世界からリスペクトされました。モノだけでなく、高品質な暮らしの細部と、それを支える社会の仕組みを生み出す力が、日本の原点じゃないかと、希望を込めて考えています。

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