今時の高校生が「制服での管理」に抵抗が薄い訳 「服装の乱れは心の乱れ」神話が復活している

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だが、2000年代後半になると、生徒が制服で造反をアピールする姿が次第に見られなくなっていく。親や先生の言うことを良く聞く高校生が増えたからだ。

このころ、都立高校では長年の制服自由から転換する動きがあった。

2005年に都立文京高校、2006年には都立墨田川高校で制服が復活した。このときの様子がこう報じられている。

「墨田川高校(東京都墨田区)。校長は「学校の印象は生徒の身なりで決まってしまう」と言い切る。教職員や在校生は「自主・自立を重んじる校風に反する」と反対したが、校長が「学校見学に来た中学生は、感想に「先輩がこわい」と書いていた。地元の評判も悪い。これでは実力ある生徒が集まらない」と押し切った。(略)「自己管理ができる生徒が少なくなったのに、学校がそれに目をつぶっていた」と同校校長。(略)(朝日新聞2006年8月19日夕刊より)

「身なりで学校の印象が決まる」という考え

「文京高校(東京都豊島区)では、昨年度から制服を導入。03年度に1.28倍だった受験倍率は今春、1.7倍になった。毎朝、教師が校門に立ち、服装や髪型、遅刻をチェック。何度注意しても改まらなければ保護者を学校に呼ぶ。同校1年の女子生徒(15)は「ブレザーの制服が好きで文京高校を選んだ。規則が緩い学校には怖い人がいそうで、いや。それに厳しく言われないと、つい遅刻しちゃうし」と言う」(朝日新聞2006年8月19日夕刊より)

この記事からは、制服を取り巻く教育環境の変化が読みとれる。墨田川高校の「身なり」で学校の印象が決まるという考えは、「服装の乱れは心の乱れ」が前提となる。これが学校運営上、普通に使われるようになった。「自己管理ができる生徒が少ない」ことを憂え、ルールで縛ろうとするが、これはできない子への厳しいしつけにつながる。

文京高校生徒の「厳しく言われないと、つい遅刻しちゃう」という発言からは、管理を求める深層心理がうかがえる。今日、「今の子は管理されたがっている」「ルールがないと何もできない」と巷間言われる話につながる。だいたい、校門で服装や髪型チェックで保護者呼び出しとは、管理の最たるものだ。制服導入にこんなオマケまで付いてくるのか。

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