デジタル庁が「打上花火」にならない為の処方箋 個人や国家の「自己決定」菅政権は何ができるか

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ここで重要なのが、現代社会において、データの駆使は経済活動と密接不可分に一体化している。物流の効率化やマーケット動向等はもちろんのこと、先に見たアルゴリズムの駆使によって、個人の購買行動まで左右できる。

初めのクリックやスワイプは自分が行っていても、いつからか「自己決定」と「他己決定」の境界線が曖昧になり、いつからか完全なアルゴリズムの他己決定を快適な自己決定として受容する。個人の購買行動ならまだしも、これが投票行動になった場合、憲法改正の国民投票になった場合、国家的決定は果たして自律的決定といえるのだろうか。個人の自律も国家の自律も、データ・グローバリゼーションによって溶解していく。

また、スマートシティ構想なども言われて久しいが、これには都市のデジタル化が不可欠だが、現在の日本の地方都市の能力と技術からいって、プラットフォームに委託せざるをえない状況があるだろう。このとき、いわゆる「地方自治」は(とりわけ海外の)「プラットフォーム自治」になってしまわないか。またしても、地域コミュニティの自律が脅かされる。

もはや旧来の概念では規律しきれない

私は、このような状況も憲法論議の文脈で語るのが望ましいと思っている。例えばデジタル時代の個人の尊厳(憲法13条)を守るためのデータ基本権の創設や、思想良心(19条)を守るだけでなく、その形成過程をアルゴリズムによる“影響”から保護する必要はないか。

もはや、近代立憲民主主義が想定していた「個人」像や「社会契約」などの概念では、このデジタル・デモクラシー、デジタル・グローバリゼーションを規律しきれない。憲法改正という手段にこだわるわけではないが、われわれが「そこだけは自明」と思っていた諸概念のアップデートが迫られているのだ。

グーグルや百度(バイドゥ)などアメリカと中国の民間プラットフォーム数社だけで130億人分(地球2個)のデータを保有していることを考えても、「憲法は国家を縛る規範」という命題だけでは、もはや憲法が至上の価値とする「個人の尊厳」はただの理想と化し、デジタル・デモクラシーの諸課題を憲法論議で語るべきという理由は、これが「国のかたち」を決めうる作業だからである。

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