勉強よりスポーツのほうがモテるわけ
身もふたもないですが、学校の部活で少々スポーツができたところで、プロになれる人はほぼ皆無でしょう。スポーツ推薦で大学に行けても、プロに届く人は、ほんの一握り。体育会系をウリにして就職するのが精いっぱいです。さらにプロに入ったとしても、そこで生き残っていける人はごくわずか。甲子園をにぎわせ、ドラフト1位で入団して、芽の出ないまま消えていった野球選手なんて山ほどいますよね?
世の親たちが、子どもに勉強をさせようとするのは、その意味では合理的です。現代社会では、サッカーや野球よりも、そこそこではあれ勉強ができるほうが、はるかに将来、安定した生活を送れる可能性が高くなる。これが資産を持たない中産階級の生存戦略です。
ところが、学校でモテるのは決まってスポーツのできる男子です。ちなみに関西では、そこに少し味付けが加わります。跳び箱をかっこよく8段跳べるヤツがモテるのではなく、8段跳べるけど、踏み切り板でこけてみせるヤツがいちばんです。
跳べないヤツは論外です。でもかっこよく跳んでしまうヤツよりも、「跳べるのにこける」というボケが人気のもとになります。だから関西でいちばん人気があるのは、明石家さんまさんなんです。
話を戻しましょう。スポーツで食べていけるはずなんてないのに、なぜスポーツが「モテ」に関係するのでしょうか。社会生物学では、この現象は「身体能力の高さが、健康と適応能力の証明であると考えられるため」と説明されています。
健康という理屈は、わからなくはないのですが、今は狩猟採集経済の時代ではありません。早く走れるからといっても、せいぜい目の前の電車に間に合うくらいのメリットしかなく、高い給料をもらえるかどうかとは、あまり関係しません。やり投げやハンマー投げにいたっては、ほとんど犯罪です。
ただ、ヒトの進化の時間幅から見れば、縄文時代から現代というのは、無視できる程度に短い時間差なので、狩猟採集経済の頃の「適応証明」が、まだ生き残っているのだと解釈されています。もっとも、夜中まで残業しても倒れないようなタフさ、というのは確かに高い給料につながるものであり、体育会系が重宝されるのも、あながち理由のないことではないと思われますが。
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