彼女が歩数計に依存して歩きまくった真の理由 気晴らしに頼るのは「心の苦痛」からの逃避だ

拡大
縮小

この事例は、歩数計のような健康に良いと思えるものでも有害な気晴らしに変貌することがある典型例だ。しかし、彼女が奇妙にも歩数計に取りつかれたことを知った私は、彼女を駆り立てた真の原因が何だったのかを正確に知りたくなった。

何百年もの間、動機は報酬と懲罰(アメとムチ)によって生じると信じられてきた。イギリスの哲学者で功利主義の創始者ジェレミー・ベンサムは、「自然は人間を、苦痛と快楽という2人の王の支配下に置いた」と述べた。だが、実のところ動機は、従来考えられていたほどには、快楽と結びついていない。

自分では快楽を追い求めていると思う時でさえ、実は渇望の痛みから解放されたいという欲求に突き動かされている。

古代ギリシアの哲学者エピクロスは、それをうまく言い表した。「私たちは、体の痛みと魂の苦悩が消えることを喜びと呼ぶ」。つまり、苦痛を和らげたいという衝動が、行動の根本的な原因であり、他のすべては表面的な原因なのだ。

注意散漫はスマホだけのせいではない

人生というゲームでは、物事の根本的な原因を見抜くのは難しい。例えば、昇進を逃せば、自分の能力や独創性のなさを反省するのではなく、狡猾な同僚に出し抜かれた、と逆恨みし、夫婦で喧嘩になれば、長年にわたって解決できていない問題には気づかず、ささいな衝突(トイレの便座が上げっぱなし、といったこと)のせいにするかもしれない。

こうした表面的な原因には共通点がある。それは、責任転嫁しやすいことだ。表面的な原因の陰に隠れた根本的な原因を突き止め、その解決に取り組まなければ、自分が生み出した悲劇からいつまでも抜け出せないだろう。

注意散漫についても同じことが言える。私たちがその原因だと思っているものは、表面的な原因にすぎず、本当の原因はもっと深いところに潜んでいる。気が散るのは、テレビやジャンクフード、ソーシャルメディア、タバコ、テレビゲームなどのせいだと考えがちだが、これらはすべて表面的な原因にすぎない。

階段の上りすぎは、歩数計だけのせいではない。

同様に、注意散漫はスマホだけのせいではない。

根本的な原因と向き合わない限り、注意散漫は治らない。結局のところ問題は、注意散漫そのものではなく、根本的原因にどう対処するか、である。

次ページ歩数計にハマった真の理由とは
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT