「ホームレスを殺す若者」を25年追う女性の真意 実の父を追いつめた彼女が歩んできた道
そこは岐阜駅から西へ自転車で30分ほど走った、河渡橋の下を流れる長良川の河川敷。北村さんが取材で訪れた日の2カ月後の7月4日、現場にあったブルーシートのテントはすでに撤去され、そこには日に焼けたひとりの高齢女性が、毛布に座って猫に餌をあげていた。水色のブラウスを着た小ぎれいな格好で、さらさらの長い白髪を後ろで束ねていた。
周囲は紫陽花など色とりどりの花々で彩られている。その中央には、高さ30センチほどの細長い石が立てかけられ、黒いマジックで「渡邉哲哉」と書き込まれていた。
「毎日ここで守りをしています。前はいろいろな人が献花に訪れ、北村さんも取材に来てくれました。“おじいちゃんかわいそう”って涙を流す人、“許さん! 即、死刑だ!”と、犯人に怒りをぶつけていた人もいました」
そう語るこの女性、Aさん(68)は、声が大きく、とにかく元気だ。渡邉さんと20年間、ここで路上生活を続けてきた。
Aさんと渡邉さんは夫婦ではないが、ときに支え合い、苦楽をともにしてきた仲だ。野良猫を支援するボランティアを通じて知り合った当時は、岐阜市内のアパートに別々に住んでいた。ところが、わけあって20年前の七夕の日、この河川敷に移り住んだ。
襲撃と隣り合わせの生き証人
2人は支援団体やほかの路上生活者とのつながりはほとんどなく、自転車で空き缶を拾い集め、回収業者に売って糊口を凌いできた。相場は1キロ約60円。このほか、コンビニや薬局などで拾った廃棄食品でも食いつないできた。
家電などの家財道具は、近くのアパートに廃棄されたゴミの中から拾い集めて使っていた。若者たちによる襲撃は、ずいぶん前から頻繁にあったと、Aさんが振り返る。
「小中学生が学校帰りに石を投げてきました。そのたびに110番しようと店や会社に電話を借りに行っても断られるんです。このへんの人は助けてくれませんでした」
10年前には放火の被害にも遭い、木でこしらえたAさんの小屋が燃やされた。直前に石を投げられ、公衆電話から通報するため、2人とも留守にしていたときだった。
常に襲撃の危険と隣り合わせで生きてきたAさん。今回も、その予兆はすでに見られた。3月半ばからたびたび、投石を受け、警察には4回通報していた。
しかし──。
3月25日午前1時半。
「来たぞ! 行け!」と叫ぶ渡邉さんの声で、テントを飛び出したAさんは、自転車で河川敷を北へ北へと逃げた。