ようやく、本心が出せるようになってきました。
多分それは、死の可能性という現実と向き合うようになったから。
死ぬ可能性を十分理解した上で生き残る意志を得たから。
きれいごとだけの偽りの生きる意志ではなく、現実としての生きる意志。
俺は、早ければ来週にも死ぬかもしれません。
来週生き延びても治療が上手くいかなくて最終的に死ぬかもしれません。
その可能性は決して低くなく、むしろ生き残る可能性より大きいです。
でも、俺は絶対生き残ります。
(2009年3月4日「生きる意志」)
いつ死ぬかわからない恐怖は、母から骨髄移植を受ける方針が固まった後により具体的になる。
提示された数字は、移植を乗り越える確率が『10%』、かつ再発しない確率が『50%』、そのどちらかにでもひっかかれば死……(中略)
……ハッキリ言って6月7月(※注釈:当初の移植予定日)で死亡!する確率が極めて高いと……
(2009年5月1日「今後の予定について」)
それでも覚悟を決めて骨髄移植を受けると、苦しんだ末、同年8月に生着を確認。九死に一生を得る。その後も入院生活は続いたが、状態は徐々に上向いていく。秋にはイラスト作成やプログラミングの練習用サイトを別に作ったり、プログラミング大会の予選に参加したりと日常を取り戻す意欲に満ちた日記が多くを占めるようになった。
そして2010年3月15日、ついに退院が決定する。2日後のMRI検査などを経て、異常がなければ3日後にも病院を後にできることになった。
まさかの再々々発
が、残酷にもこのMRI検査で前頭葉に腫瘤が発見されてしまう。退院は延期となり、翌日の検査で再々々発が確定。希望を抱いたところで奈落の底にたたき落とされる。そこでワイルズさんが残した日記には、諦観と達観がない交ぜになった苦しい心境が刻まれている。
もう闘う気力が……
というか、これはそもそも勝ちとか負けとかそういうものではなかったのかもしれない。
なるかならないかの、単純な確率問題だったのかもしれない。。
(2010年3月18日「再再々発」)
死を思うとき、残される人達の心境を思います。
実はこれが一番辛かったりします。
死んだ後のことなんかどうでもいいとか言われそうですが、これが一番ダメです。
「死ぬのが怖い」というのは、死ぬこと自体が怖いのではなく(多少ありますが)、死ぬことによって生じる状況が怖いのです。
(2010年3月19日「死ぬのが怖いとは」)
その後も気持ちを奮い立たせて病に立ち向かったが、検査結果は無情で、6月末には骨髄での再発も認められた。2度の骨髄移植を経たワイルズさんの内臓には回復不能なダメージが蓄積しており、抗がん剤治療や3度目の骨髄移植には耐えられない。現状を受け止め、完治や寛解は諦め、できるかぎり体調を維持して「余生を苦しまずに」過ごす道を探ると決意する。
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