1990年代、エジプトで開かれた試乗会の思い出 権力の地・カイロの走破体験は壮大だった
遺跡の前に立つと、遺跡の中に足を踏み入れると、ひとりの人間の小ささを否応なく感じさせられる。
しかし、その小さな人間が、夢と大志と権力を持てば、とてつもない大事を成し遂げられることもまた強く実感できた。
主催したメーカーには申し訳ないが、試乗したクルマの記憶はほとんど残っていない。だが、それはクルマが退屈だったからではない。試乗地に選んだ地のスケールと、その地で展開される圧倒的なスペクタクルゆえである。
試乗会最後のディナーの場は、ナイルに浮かぶ船上。片道1時間ほどのクルーズの間に見た、闇に浮かぶ遺跡の夜影もただただ幻想的。東京で過ごす日々からは完璧に切り離された、貴重な体験だった。
最後の夜は、ディナー解散後、同じクルーズ船に泊まるスケジュールだった。そのクルーズ船は宿泊設備も備えていたということだ。
僕は泊まりたかった。ナイルに浮かぶ船上で一夜を過ごすという、めったには訪れない機会を絶対に逃したくなかった。誰だってそうだろう。
ところが、日本を出る数日前、突然、重要な仕事のスケジュールが変更になり、ナイルの船上泊は諦めざるをえなかった。
ディナーを終えるとすぐ船を降りてカイロに向かった。カイロのホテルに泊まり、翌朝いちばんのフライトに乗らないと、日本での仕事に間に合わなかったからだ。
もう1人、同じ理由で、半日早く帰国しなければならない人がいた。僕はそのTさんと二人でカイロに向かった。
まさかのトラブル発生で…
カイロのホテルに着いたのは23時を回った頃。順調に着いた。メーカーが予約してくれた部屋の鍵も受け取った。すべて順調だった。
……ところが、部屋の鍵を受け取った数秒後に舞台は一気に暗転した。
上記のように、日本を発つ数日前に予定を変更せざるをえなかったので、出発当日までに帰国便のチケット発券が間に合わなかった。
そこで、カイロのホテル(カイロ・ヒルトン)のチェックインカウンターでチケットを受け取るはずになっていた……のだが、なんと、届いていない。
夜中なので、航空会社に問い合わせもできない。そこで、試乗会スタッフも泊まっているナイルの船上ホテルに電話を入れた。が、「22時で電話受付は終了しております……」とのテープが空しく回るだけ。焦った。
同行したTさんは、「俺、こういうのまったく弱いんだ。ダメ……ゴメン……」と呆然自失状態。
ホテルのフロントマンも気の毒がってはくれたものの、なにもできない。そう、「じたばたしてもしょうがない」状況だった。
そこで、「空港に行けばなんとかなるだろう」と腹を決め、とりあえず部屋で一休みすることにした。
「旅行代理店が間に入って、チケットをホテルに届けることになっていたはず。なので、そんな役割の人でも思い出したら、とりあえず連絡してみてほしい」とフロントマンに言い残して部屋に。