香港・国家安全維持法、条文で読む深刻事態 「一国二制度」と「人権」は完全に消え去った

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香港住民だけでなく、民主化運動にかかわった外国人も取り締まりの対象になることが批判されているが、法律には次のように書かれている。

「永住権を有さない者が本法の規定する犯罪を実施した場合は、独立して適用又は国外追放を付加して適用することができる」(第34条)

「永住者の身分を有さない者が香港特別行政区以外で香港特別行政区に対して本法に規定する犯罪を実施した場合、本法を適用する」(38条)

つまり、外国人が香港において違反行為をした場合はもちろん、香港以外の場所(つまり海外)であってもこの法律は適用されるということである。また、捜査手法については「犯罪の証拠がある場所、車両、船、航空機その他の関係する場所及び電子機器を捜査可能」「情報発信者又は関連するサービス業者に情報の消去又は協力の提供を要求」(第43条)とされており、電子メールなどの閲覧はもちろん、電話などの盗聴も可能で、捜査機関はあらゆる手段を使って海外からの情報も入手するであろう。

新法が運動家に与える圧倒的な威圧感

つまり海外から香港を支援するための送金はもちろん、運動を支持するメールなどを送っていた場合、香港に足を踏み入れた途端に拘束される可能性がある。これでは危なっかしくて香港はもとより中国に旅行することすらできない。

さらに司法手続きについては、香港行政府で対応できない場合には「国家安全維持公署が立件・捜査に責任を負い、最高人民検察院が指定する関連の検察機構が検察権を行使し、最高人民法院が指定する関連の法院が裁判権を行使する」(第56条)と規定しており、その場合の司法手続きも「『中華人民共和国刑事訴訟法』等の関連法律の規定を適用する」(第57条)と定めている。

ここでも一国二制度は消えてしまい、香港から完全に離れて中国の制度によって捜査、起訴、裁判という手続きが行われるのである。香港の運動家にとって、イギリスの司法制度に基づく香港の裁判制度はこれまでは救いの神であった。ところが新法では、当局の恣意的判断で被疑者は中国本土のどこかに送られ、共産党が支配する司法制度の下で手続きが進められることになる。

筆者は数年前に香港を訪れたとき、空港内の書店に多くの人が群がっている光景を見かけた。店頭には習近平主席をはじめ中国共産党幹部らのスキャンダル、内部の権力闘争などを詳細に紹介している書籍が数多く並んでいた。中国本土から香港に旅行に来た人たちがそれらの本をむさぼるように読んでいたのである。

これらの書籍は、本土に持ち帰って空港などで見つかると没収されてしまう。しかし、中には購入する勇気ある中国人の姿もあった。国家安全維持法の施行後は、こうした本の執筆も販売も取り締まりの対象となる。こうした書籍が空港の書店に並ぶこともなくなるだろう。

新法の条文を詳細に分析すると、香港での民主化運動や中央政府批判などの活動が二重、三重に規制され、当局は中国流「法治」の名のもとに、関係者を容易に拘束できる仕組みが作られていることがわかる。この法律の内容が運動家らに与える恐怖感、威圧感は圧倒的であり、民主化運動家らが身の危険を感じて姿を消すのも当然であろう。

中国政府が手を下すまでもなく、運動が消えていく。それほどまでにこの法律の内容は民主化の動きを封じてしまうものとなっている。

薬師寺 克行 東洋大学教授

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やくしじ かつゆき / Katsuyuki Yakushiji

1979年東京大学卒、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸や外務省などを担当。論説委員、月刊『論座』編集長、政治部長などを務める。2011年より東洋大学社会学部教授。国際問題研究所客員研究員。専門は現代日本政治、日本外交。主な著書に『現代日本政治史』(有斐閣、2014年)、『激論! ナショナリズムと外交』(講談社、2014年)、『証言 民主党政権』(講談社、2012年)など。

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