夫を「主人」と呼ぶ人に感じるモヤモヤ感の真因 経済力がある、若い女性までなぜ使うのか

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そうした時代に広まった主人という言葉には、奴隷制度に例えたくなるぐらい女性の権利を認めなかった、明治の法律を思い起こさせるところがある。奴隷の所有者も、主人と呼ばれる。この言葉は、夫婦の間に上下関係を作る。「主人に聞いてみなければわかりません」という、セールスに来た人を追い払うのに役立つフレーズは、自分を無能力者と公言する効果を持つのだ。

昭和を知らない世代は、もしかするとプレイやポーズとして、この言葉を使っているかもしれない。仕事を持っているにかかわらず、あえて夫を主人と呼ぶ。夫たちが妻をわざと「ヨメ」と呼ぶ。それはどこか、結婚することが難しい時代に、結婚している相手がいることをアピールしているようにも聞こえる。しかし、先述のような来歴を持つ言葉をくり返し使うことは、夫婦に上下関係を作っていかないだろうか。

「嫁」という呼び方は?

主人という呼び名が定着したままでは、夫を再び戦前の戸主のように権限を持つ存在にするかもしれない。90%以上の妻が生まれ持った名字を捨てる夫婦同姓強制の戸籍制度は、その象徴に見える。コロナ対策で世帯主が家族の分まで受け取る特別定額給付金も、そうした感覚の延長線上にあるのではないか。今は本当に令和なのか。

若い夫たちがプレイとして呼ぶ嫁も、字の通り「家の女」という意味である。それはイエ制度を法的に保証した明治民法のもとで、戸籍の一番低い地位に長男と結婚した女性が入ったように、女性の地位を低くしかねない。女性の中には、舅姑の言いなりで、1日中無給で家業のために働かされ、息子を産まなければ家の一員とも認めてもらえなかった戦前の女性を連想する人もいる。

主人という言葉は、女性が自分で自分の人生を決める権利を失ってもよい、というニュアンスを含む。夫が家事や育児をしなくても、家にお金を入れなくても、浮気しても、暴力をしても耐えなければならないイメージがある。

佐々木氏が主人という言葉を意識的に使ったかどうかはわからない。しかし、これに違和感を覚える人が少なからずいたのは、その言葉を使うことで、自分が主体的にそれでも渡部氏と一緒にいたいという宣言文ではなく、従属的な妻であると見えてしまったからではないだろうか。

阿古 真理 作家・生活史研究家

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あこ まり / Mari Aco

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。著書に『『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)』『日本外食全史』(亜紀書房)『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。

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