これらは、時には1人ずつ、時には互いに手を組んで行動し、同時代の人々にとってはこの世の終わりとしか言えないような結果をもたらした。彼らが現れた後、何億もの人々が非業の死を遂げた。混乱が収まるころには、持てる者と持たざる者の格差は縮んでいた──時には劇的に 。
1320年代後半のあるとき、ゴビ砂漠でペストが発生した。ペストを引き起こすのは、ノミの消化管に棲みついているペスト菌だ。ネズミがペストに感染したノミを、東は中国へ、南はインドへ、西は中東、地中海沿岸、ヨーロッパへと運んでいった。1347年末にはコンスタンティノープルを襲う。退位したビザンティン帝国皇帝のヨハネス6世カンタクゼノスがその症状を克明に書き残している。
どんな医者の技術をもってしても太刀打ちできなかった。病気にかかっても全員が同じ経過をたどるわけではなかった。抵抗力のない者はその日のうちに死んだ。たった数時間で死んだ者もわずかながらいる。2、3日のあいだ抵抗できた者は最初はひどい高熱に苦しんだ。このとき、攻撃されるのは頭だ……。別のケースでは、この災厄は頭ではなく肺を襲った。すぐに体内で炎症が起き、胸に鋭い痛みが走る――。
1350年にはペストは地中海沿岸に広がり、翌年には、一時的であれヨーロッパ全土を衰退させた。最新の推定によれば、ヨーロッパの人口は1300年の9400万人から、1400年には6800万人に落ち込んだ。減少率は25%を超える。
とくに落ち込みがひどかったのがイングランドとウェールズで、ペスト前に600万人近くあった人口のほぼ半分が死亡し、18世紀初めになってやっとペスト前の水準に戻ったのだ。イタリアも落ち込みがひどく、住民の3分の1以上が死亡した。
感染爆発後に何が起こったか
世界は一変した。感染爆発のさなかとその直後には、人間の活動が低下した。最も根本的な変化は、経済領域、なかでも労働市場で起きた。人々の大量死によって労働者の賃上げ要求が高まったのだ。
ペスト発生前の賃金がわかる少数のケース(ロンドン、アムステルダム、ウィーン、イスタンブール)では、ペストの流行以前は賃金が低く、その後急速に上昇している。実質所得は15世紀初めから半ばにかけてピークに達している。この時期、ほかの都市でも同様のデータが残されており、やはり賃金上昇の動きが見られる。
人口の変化と実質所得には際立った相関関係がある。調査対象となった全都市で、人口が最低になった直後に実質所得がピークに達したのだ。
甚大な影響があったとはいえ、第1波の感染爆発だけなら、都市部の実質賃金を倍増させ、それを数世代にわたって維持するほどの力はなかっただろう。だが、ヨーロッパ全土でペストは1世代につき2、3度発生して人口を抑制した。労働者階級の生活水準の向上が見られたのは、数世代にわたって多くの人々がペストに苦しみ、早死にしたことが原因だった。
近代以前の農耕社会では、疫病のために土地と労働者の比率が変わることによって平等化が進んだ。土地の価値が下がり(地価、地代、農産物価格として記録されている)、労働の価値が上がったのだ。こうして、以前と比べて地主や雇用主は貧しく、労働者は裕福になり、所得と富の不平等は減少した。
だが、富裕層の財産を取り上げ、労働人口を減らして残った人々の暮らしが目に見えてよくなるようにするには、圧倒的な暴力と人間の苦難が必要だった。こうした暴力的な大惨事のほかに不平等を均すほかの方法はあったのだろうか? そして、現在はあるのだろうか?
(構成:堀越千代)
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