1970年代「今でも語り継がれる名車たち」の足跡 日本カー・オブ・ザ・イヤー前史の思い出

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1972年は「ホンダ・シビック 1200GL」がグランプリを獲得。デザインを含めた、ベーシックカーとしての高い総合力が評価された。

そして、1973年、1974年もシビックが連続してイヤーカーのタイトルを獲得。

73年は「スターレンジ」=無段変速機が評価され、74年は低公害エンジン「CVCC」が評価されてのグランプリだった。

しかし、基本を同じくするクルマが、3年連続イヤーカーを獲得したのは後にも先にもシビックだけ。これからもまずありえないだろう。

ちなみに、マスキー法や、73年の第一次オイルショックで、自動車業界が大きな困難に直面していた中、CVCCシビックは世界的大ヒット作になったことを書き加えておこう。

シビックは、世界中の雑誌や機関、団体から、数年にわたり、多くの賞を受けた。3年連続でイヤーカーに推した、われわれ審査委員の判断は間違っていなかったということになる。

4輪メーカーとしての確固たる地位を固めたホンダ

1975年は「マツダ・コスモAP」が、1976年は「アコード 1600 EX」がイヤーカーに輝いた。とくに、アコードは、「カッコよし」「走ってよし」「乗ってよし」と、三拍子そろっていた。

シビックとアコードによって、ホンダは4輪メーカーとしての確固たる地位を固めた。

1977年は「ダイハツ・シャレード」。3気筒エンジンと、コンパクトで居住スペースの広いボディの組み合わせは非常に先進的だった。

1978年は「マツダ・サバンナRX-7」が受賞。ロータリー・エンジン車としてのひとつの完成形であり、日本では、長くサーキットを席巻し続けてきたスカイラインGT-Rを王者の座から引きずり下ろした。

1979年のイヤーカーは、「日産セドリック/グロリア 2000 ターボS」。高性能と省燃費を目指す新たな技術としてのターボ過給を搭載した日本初の量販車……が、受賞の理由だった。

上記の10年をもってモーターファン誌主催の「Car Of The Year」は終了。以後は、自動車専門誌を主体にした媒体で構成された「日本カー・オブ・ザ・イヤー」実行委員会にバトンは渡され、今日に至る……ということになる。

最近、新型のFITに乗ったが、これがなかなかの仕上がり。シビックの3連覇を思いだした。同時に、「今年のイヤーカーはFITかもしれないな」との想いが頭を過ぎた。

(文:岡崎宏司/自動車ジャーナリスト)

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